これが、コロナ対応の失敗から見える「危機の本質」だろう | がいちのぶろぐ

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さっきスマホに、新垣結衣さんと星野源さんが結婚されたという速報が流れてきた。〝おいおい、まじかよ。それってドラマの続編なの〟と思わず突っ込みを入れてしまった。

 

 

 

まずは、何よりもおめでとうございます。私はあまり感じないけれど、〝ガッキー・ロス〟の男性も出て来ることだろう。しかしこの間、芸能人の動静が忙しいように思う。

 

昨日は、田村正和氏の訃報が伝えられたばかりだ。コロナ禍という、ある意味で今までとはかなり異なった社会情勢だから、それぞれの方が色々とおありになるのだろう。

 

そのコロナ禍と関連して、元・外務審議官で、現在は日本総研国際戦略研究所の理事長の田中均氏が、ダイヤモンド・オンライン誌に寄稿された「コロナ対応の失敗が浮き彫りにした日本の『危機の本質』」という記事が目に止まった。

 

田中氏ご自身が外務省の高官として仕事をしておられたからだろうと思うが、今までこうした評論などを読んでも、あまりに直接的な政府批判は控えておられるように思っていた。

 

しかし今回は相当踏み込んで、タイトルで「コロナ対応の失敗」と言い切ったり、記事の中でも「日本の政治の認識の甘さが今の事態を生んでいる」と述べたりされていた。

 

もちろん現在の肩書のように、あくまで民間シンクタンクの幹部という立場での発言である。年齢的に今さら官僚に戻るわけでもないし、政治家に転身されることもないだろう。

 

だから現状で、政治家と官僚の関係が醸し出している空気感の危うさを、トップクラスの官僚OBとしても、シンクタンクからの発信者としても、危惧しておられるのだと思う。

 

田中氏は記事の中で、「バブル後の衰退は30年に及ぶゆっくりとしたプロセスだったし、国民も日々の生活でそのことを直接、意識するわけではなかった」と指摘される。

 

しかし「コロナ禍では、国民の生命が日々脅かされるなかで、政府の対応の不十分さが一気に露呈してしまった」と述べておられる。

 

さらに、「政府のコロナ対策は行き当たりばったりのご都合主義であり、緊急事態宣言の発令や延長を含め、後手後手に回っていると映る」と、辛らつな評価を下しておられた。

 

この先は、「東京五輪開催をどうするのか、大きな決断が求められる」けれど、「これまでのコロナ対応の延長で物事が進められていくとすれば、感染が収まっていなくとも『なし崩し的』に開催に至る可能性が強い」とも言われる。

 

 

 

こうしたこともすべて、「日本の政治の認識の甘さが今の事態を生んでいる。政治の強いリーダーシップやその下での政官の一体感が欠けているからだ」と指摘されていた。

 

そのベースにある現象として、「今の官僚機構の士気の停下は著しい。更迭されるリスクを冒してまで、官邸や与党に『直言』しようとは思わないだろう」ということだ。

 

それもこれも、安倍政権時代に菅官房長官などが人事権を楯に、官僚を「絶対的服従関係」に抑え込んできたからだと説明しておられた。外野の私でさえ、その通りだろうと思う。

 

国家公務員を志した時点で、若き官僚志望者たちは「『国のため』に仕事がしたいという気持ち」だっただろうと思う。その頃は、熱い気概があったのだと思う。

 

だから田中氏もこの寄稿の最後で、「日本が危機から脱していくには、まずは政治を変えなければいけないという明確な認識がどうしても必要だ」と言われる。

 

そして、「このままでは日本が浮き上がれないまま停滞を続けるということになってしまう」という危機感で、文章を締めくくっておられた。

 

もう今となっては、田中氏ご自身も後期高齢者に差し掛かる年齢である。大半の政治家や、すべての官僚はご自分より年下になっている。

 

だからこそ、人生というキャリアの先輩として、言い残すことが無いように、今回の寄稿でも言うべきことを書き残されたのだと信じたい。

 

「日本の『危機の本質』」とは、政治における「行き当たりばったりのご都合主義」が蔓延していることであり、「政治の認識の甘さ」に起因するだろう。

 

今日の田中氏の記事が指し示している内容こそが、まさに危機的状況にあるこの国の問題点をきちんと言い表しているのだと思う。