今日は「母の日」。息子と娘のところから家人宛てに、それぞれ〝らしい〟贈り物が届いた。家人は宅配便の配達が来てもいいように、早々と玄関の鍵を開けていた。
大阪住まいの息子宅からは、いつものように高めの〝おかず〟。面白いもので、家人も私もけっこう好物だけど、自分でお金を出してまで買うのはちょっと、と思うものが届く。
やはり奥さんが、そのあたりの細かいところまで気配りをしてくれている。そのお蔭で、いつもながら私までも有難くお相伴させてもらえるから、ご馳走にありつける。
それ以上にショックを受けたのは、大阪の孫娘が通う小学校では、オンライン授業を受けても良く、通学で授業を受けても良いと、本人や親の選択に任されているというのだ。
給食も食べても良いし、お弁当持参でも良い。しかも学校の開始時間は10時ごろからだという。つまり現状は〝休校〟ではないものの、変則そのものの体制になっているらしい。
千葉都民の娘のところからは、長く保つ加工を施したドライフラワーと、有名店のお菓子のセットだった。こちらも毎年、なかなかに凝った選択をしてくる。
60年以上前の、私の子どものころの話をしても始まらないと思うが、母の日に母親のいる子は赤いカーネーション、いない子は白いカーネーションを身に着けたような記憶がある。
それがしばらく経つと、そうしたこと自体、母親がいない子どもには酷なことだという話になって、赤いカーネーションだけになった。
だから私も、赤いカーネーションを1輪買い求めて、母親に渡していた記憶がある。それとともに、何かちょっとしたものを添えていたようにも思うが、そこは確かではない。
そんなことをしたのも、小学生の間だけだったと思う。中学生になった頃からは、もう気恥ずかしくて、母親に何かプレゼントをしたという記憶はない。
今はその点で、何だかみんながイベント好きになったものだと思う。何とか記念日だからと、お互いにプレゼントを贈り合うのが当たり前になったみたいだ。
その割りには、私と家人が結婚して今年のゴールデンウィークに50周年を迎えたというのに、どちらからも反応はなかった。「金婚式だけどなあ」と家人と笑い合っていた。
別に期待もしていなかったし、今さら自分たちでも何をどうするわけでもない。さすがに25年前の銀婚式の時には、一応韓国まで記念の旅行をしたのだが。
今は私もガン患者だし、家人も〝その点〟ではもう8年もの大先輩である。この時期にうっかり外出してコロナウィルスに感染すれば、お互い〝えらいこと〟になり兼ねない。
だから〝何も起こらない〟ことが幸せなことだと思って、日々を過ごしている。それにしても私は、今月は一度だけ散歩に出掛けた以外は、まだ外出らしい外出をしていない。
これでは、徐々に足腰が弱まって行くだろう。だけど、高齢者はどこにも行かず、家でじっとしていることが、東京オリンピックを成功に導く唯一の方策だろう。バンザーイ!