第3次入院その③なんか歯切れの悪い結末に | がいちのぶろぐ

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今朝早く6時半に、フェイスブックのメッセンジャー宛に1通のメールが届いた。


私が昨年5月からかかわってきた、「半径3kmの旅」のプロジェクトでリーダーをしている若い方からだった。


この23日に、同志社大学院の「NPOなどと行政の協働演習」という授業を担当されていた教授が定年され、その記念授業がある。


その記念授業の中で、この1年にやってきたプロジェクトも、発表の時間が設定された。


だから「半径3kmの旅」も、わずか5分だけだが、この1年の総括をすることになった。


それで、12日すなわち今日がパワポの締切ということなので、今回の入院前に、私案を何とかまとめ上げてリーダーに送った。


これを叩き台にして、あなたの考えをまとめてほしい、と言ったのだが、今朝早く送られてきた内容は、叩き台とは全く別ものだった。


だから、リーダーにこの中身はどうなのかと問い合わせたら、仕事で追い詰められてもいるし、もう新たに作るだけの気力が続かないという。


だから1月末のクラス内発表会のものを、ほぼ使い回しするつもりだ、ということだった。


それは、ちょうど入院など動きが慌ただしくて、私がタッチできなかった時期にまとめられた内容だった。


だからこそ、今回は入院前だったけれど、慌ただしく新たな叩き台を作ったのに。


こんなことでは、私のこの1年の議論は全く無駄になってしまったように感じた。


だから、午前中のメールのやりとりで、もしこのまま23日の発表を行うのであれば、私の名前を消してほしいと頼んだ。


この歳になって、なんとも大人気ない言い方だと思ったが、やはり我慢ができなかった。リーダーには申し訳なかったが。


「半径3kmの旅」というのは、とても良いネーミングで、ブランド力もある言葉だった。


しかも内容としても、「旅」に新たな方向性を示せるものだと思っていた。


しかしコロナ禍の下で、新しい試みを検証することができず、従来通りの「知識伝授型の町歩き」を言われるメンバーに押し切られてしまった。


それでは、老舗のグループが沢山ある中で、尖ったコンセプトもない新参者など一蹴されてしまう。


だからこそ、新たな方向性を示そうとして、知恵を出してきた1年だったはずだ。

そう思えば、やるせなくて悲しい。


だからこの際、キッパリとメンバーから私の名前を外してもらうことにした。最初からいなかったことにしてもらおうと。


23日の発表の後では、従来型の思考で引っ張ってこられた方々が、呵呵大笑されることだろう。


それはそれで良い。最終段階で病に倒れたこちらがダメだったということだ。


だから、もう今回の発表は見たくも聞きたくもない。


それよりもこちらは、昨日の午前から100時間連続の、抗がん剤の点滴中だ。




何が大事かと言って、今の私にはこの点滴がもっとも大事なことだろう。


だから、これ以上は、「半径3kmの旅」のプロジェクトとは関わらないことにした。


まぁ、発表が終われば終わったで、まだ何かアプローチがあるかもしれない。その時はその時だ。


点滴の針の歪みの方が、今の私にはよほど気にかかる。