京都という町の「やるせなさ」 | がいちのぶろぐ

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観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

歳末も、いよいよ押し詰まって来たという気がする。今日の土曜日から早々と正月休みになった、という方もおられるかもしれない。

 

今年の暦の並び具合は、週明けの月・火曜日が2829日なので、このあたりで仕事納めという方が多いだろう。

 

私はもはや現役ではなく毎日が休暇の身だから、どのような休みだろうと関係ないのだけど。そんな状態でも、正月が確実にやって来るのが、良いのやら悪いのやら。

 

そう思っていたら、今日は京都市が発行している「市民しんぶん」の来年1月号が我が家にも配布されてきた。

 

1面には、祇園の「お茶屋さん」か「料理屋さん」を思わせる和風住宅の前で、着物姿の男女2人が挨拶する光景が載っていた。〝いかにも〟感を演出した写真だ。

 

 

 

その横でキャラクターの〝吹き出し〟に、「伝統産業品を取材」と書かれている。つまり正月らしい着物姿と引っ掛けて、今月号は京都の伝統産業の特集ということらしい。

 

だから見開きの23面には「京都の暮らしに息づく伝統産業」と題して、〝3丁目の夕日〟さながらに、〝昭和〟感たっぷりの和室で新年を祝う家族のイラストが描かれていた。

 

 

 その上で、このイラストの中に描かれている「伝統産業品」の数を訊ねることで、市民にもあらためて身の回りにある伝統産業品を理解してもらおう、という構成になっている。

 

ここで「ちょっと待ったぁ~!」ということになる。我が家は古家だから、基本的には和風建築である。だが建ったときから、食事はテーブルと椅子のダイニングで行っていた。

 

もちろんお正月だから、ダイニングではなく京都風にいうなら「客間」と呼ばれる奥の部屋で、一家が揃って正月のお祝いをすることはある。それなら我が家も可能だ。

 

しかし全員が着物姿で、床の間のある畳敷きの部屋で正月のお祝いをしている光景なんて、いったい〝どんだけ昭和なんだ〟と突っ込みたくなってしまう。

 

こんなお正月の風景は、今では京都でも随分と少数派になっているだろう。それも、床の間に正月らしい掛け軸まで掛かっているご家庭は。伝統産業品を示すためだと思うけれど。

 

それに3面の解説では、ご丁寧に「重箱・おわん・盆」が〝京漆器〟と書かれている。我が家も、重箱やお雑煮の〝おわん〟、お盆も漆塗りのものはあります、古い家だから。

 

 

 

お皿や湯呑み、徳利やお猪口などは、当然ながら陶磁器でございますよ。そもそも畳敷きの部屋なら、畳そのものが伝統産業品ですから。

 

実はこのように考えれば、多くの家庭でも陶磁器だけは伝統産業の品として存在しているだろう。もっとも京焼・清水焼ではないし、どこの産地のものかは置いておくとしても。

 

それに、皿やカップなどは洋風の柄のものも少なくないけれど、これだって製法を考えれば伝統産業品だと言えなくはない。

 

いずれにしろ、このように一つずつを挙げれば、それなりに生活と伝統産業とが切り離せないとも言える。ただ背景の部分は、「市民しんぶん」のイラストとは異なっているだろう。

 

それでも、3面に紹介されている「おせち」の解説は、それなりに面白い内容になっていた。これだけは少し興味を引かれた。

 

〝京料理〟とは、「御所や公家に伝わる有職料理、武家を中心とした本膳料理、寺院の作法から生まれた精進料理、茶の湯とともに発達した懐石料理など、数多くの料理が融合したもの」と紹介されていた。

 

たしかにそうである。だが現状において、「おせち」は〝和食〟が中心ではあるけれど、それぞれの家庭では〝京料理〟というほど〝ご大層〟なものではないだろう。

 

早くからデパートなどに発注して、〝京料理〟の老舗料亭が作る数万円もするような豪華な「おせち」を並べるという家庭は、さすがにそれほど多くはないと思う。

 

普通なら、それぞれの家庭の所在地や、ご主人の出身地に固有のお雑煮と「おせち」があって、その上に家庭で工夫をしたものを、お正月のお祝いの料理として並べるだろう。

 

こんなことを書いてみても、仕方がないことかも知れない。〝昭和〟な世界ではこうだった、という〝昔話〟を「市民しんぶん」が見せてくれている、と考えれば良いのだ。

 

そして最終ページには、「京都が京都であり続けるための京都観光モラル」なるものまで示されていた。

 

 

 

コロナ禍になる前の一時期、京都ではオーバーツーリズム(観光客過多)によって市民生活に支障をきたす、と言われていた。交通混雑や観光客のマナーの問題などがあった。

 

逆にコロナ禍の状況では、観光客がウィルスを持ち込むということも、市民の目線からは気になっていることも事実だ。とは言っても、観光自体が京都の基幹産業の一つである。

 

〝痛し、痒し〟という話なのだ。観光客が来てもウィルスが不安だけど、来なければそれもまた生活面で不安があるという、京都の置かれているポジションがある。

 

だから「市民しんぶん」の説明では、「観光事業者や従事者、観光客、市民が大切にすべきことをまとめた行動基準」と書かれていた。

 

 

いずれにしても、京都という町が「京都であり続ける」ためには、こうしたことは避けて通れない話だと思う。このままでは、観光関連事業は総崩れになりかねない。

 

しかし市民の日常生活は、観光関連産業だけで成り立っているわけではない。ここが行政サイドとしても辛いところだろう。

 

ただし、我が家に届いた「市民しんぶん」を見る限りにおいて、京都市の施策の方向性は、伝統産業の活性化と観光関連産業の立て直しに主眼が置かれているように思われる。

 

それは致し方がないことではあるが、それだけで済むのかどうか、これからの行政の舵取りは難しいものにならざるを得ないだろう。ましてや、京都市は財政難ときているから。