SDGsで人類は危機を超えられるか | がいちのぶろぐ

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東洋経済オンライン誌に、大阪市立大学の斎藤幸平氏と東京工業大学の中島岳志氏による「『SDGsでは危機は脱せない』 “緑の資本主義”の欠陥」という対談が掲載されていた。

 

これが、実に明快な内容の対談だった。中島氏は「資本主義を批判しているように見えて、実は資本主義を後押ししている『まやかしの思想』が気に」なっていると語られる。

 

続けて「その典型がSDGs(持続可能な開発目標)」だと言われる。「政治家や財界人、学者までがSDGsバッジをつけ、あたかも自分たちが環境に配慮しているようなふりをして」いると手厳しい。

 

 

 

「あの程度の取り組みでは現在の危機に対処することは」できないと言われる。おっしゃる通りだと思う。SDGsがファッション化しつつあると、私もかねがね思っていた。

 

中島氏は「資本主義は常にフロンティアを求め、外部から収奪することによって成り立つシステム」だとも述べておられる。資本主義は右肩上がりの経済を前提としているから。

 

そうである限り、資本主義は拡大という〝呪縛〟から逃れることはできない宿命の下にある。この中島氏の発言を受けて、斎藤氏はこう言っておられる。

 

斎藤氏の著書である「人新世の『資本論』」は、「SDGsは大衆のアヘンである」という一文から始めたと。あのマルクスが、「宗教はアヘンである」と述べたことを受けている。

 

だから斎藤氏は「経済成長の実現と二酸化炭素の排出量削減の二兎を同時に追うことはできない」と言われる。「そんな都合のいい話はない」と。

 

日本の政府は最近、2050年には二酸化炭素排出量の実質ゼロを目指すと決めたけれど、斎藤氏の言葉に従えば、それは経済成長を止めるということになる。

 

これではSDGs、すなわち〝持続可能な開発目標〟とは整合性が取れないことになる。早い話が、〝それは無理〟ということだ。

 

 

 

斎藤氏は続けて、「気候変動対策を求める声が高まる中で、資本主義はグリーン・ニューディールやSDGsといった『緑の資本主義』路線を追求」する以外に方法がなくなった。

 

だから「これまでの古い産業を一掃しつつ、(中略)緑の経済に向けた大型投資を狙う」と言われる。これには「社会的インフラの大転換・大改造が要請される」と。

 

けれど、「この大転換を資本主義の論理に従って、経済規模を拡張させながら行うと」どうなるかと疑問を投げかけられる。

 

例えば「自動車をすべて電気自動車にして、あらゆるものをインターネットに」つないだなら、「電力やエネルギー消費量は倍増するだろう」ということだ。

 

もしこれを再生可能エネルギーでまかなうとしたら、「先進国に限って言えば不可能ではないのかも」しれないが、「その結果、リチウムに代表されるレアアースは徹底的に掘りつくされる」と言われる。

 

そうなのだ。石油資源が枯渇し、二酸化炭素が大量に排出されることの代替案として出て来た再生可能エネルギーのために、今度は希少な金属資源が掘りつくされてしまうかもしれない。

 

だから斎藤氏は、「SDGsやグリーン・ニューディールに警鐘を鳴らすのは、それらの言葉がわざと曖昧に使われて」いるために、「経済成長を優先する集団に容易に乗っ取られて、中味が骨抜きにされてしまうリスクが高い」と述べる。

 

この斎藤氏の意見を受けた中島氏は、「資本主義の問題を乗り越えるうえで参考に」すべきなのは、「ガンディーの思想」だと言われる。あのインド独立の父ガンディーである。

 

 

 

ガンディーは「鉄道の導入によって、人々はゆっくり歩くことを忘れ、遠くへ行くことに価値を見出すように」なったと、著書に書いているそうだ。

 

つまりガンディーは、「現代人はスピードに囚われ、隣人の存在や近くにいる人たちとの支え合いを忘れてしまった」と問いかけているのだという。

 

だから中島氏は「マルクスやガンディーのように、資本主義を乗り越える大きなビジョンが必要」だと述べておられる。

 

だから斎藤氏も、「気候危機は深刻化する一方で、資本主義者たちの楽観的な見方は有効性を失って」行くと言われる。そのためには、「まず30年後を思い描く想像力を取り戻す必要」があると結んでおられた。

 

対談の鍵となる部分を抜き出しただけだが、このようにとても興味深い話が展開されていた。現代社会が抱える問題の本質を、極めて明快に掘り起こしてくれている対談だった。

 

SDGsがファッション化しているという危惧は、私も常々感じていた。記者会見に現れる日本の閣僚の胸に、円形の中に17色に塗り分けられたSDGsのシンボルマークのバッジを見かけることも多い。

 

こうした時に、この人は本当にその内容を理解しているのだろうか、と思いながら見ていた。SDGsの17個の目標の中には、貧困からの解放やジェンダー平等といったテーマも入っている。

 

失礼ながら、この人たちは本当にそれらを理解できているのだろうかと、いつもそうした視点からバッジをつけている人を、テレビの画面越しに見ていた。

 

この斎藤幸平氏と中島岳志氏の対談は、資本主義という〝右肩上がり〟を前提とした経済システムの下で、〝本当の意味〟での持続可能な社会を期待できるのだろうかという、根本的な問題提起だと思う。

 

良い対談を読むことができた。お二方の言われる通りだと思う。30年後の社会の姿を、私たちはどのように想像できるだろう。地球の将来は、この一点にかかっていると思う。