多文化共生の草の根の活動として | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

この2日間、外国とつながる子どもたちの置かれている立場や、文章や会話で人とつながる時の話題など、いずれにしても〝場〟に違和感を持つかどうかといった話を書いていた。

 

明日は京都市国際交流会館の事業で、いわゆる中国残留孤児として生長し、中年以後になって日本に帰国された方々が作っておられる団体の活動に、お邪魔することになっている。

 

 

(京都市国際交流会館)

 

京都で暮らす様々な文化的背景を持った人たちの活動を、広く市民の方々に知ってもらうために団体紹介のビデオを作成しよう、ということになった。

 

私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体も、国際交流会館が組織している「多文化支援ネットワーク」に参加しているので、ビデオ作成に協力することになった。

 

それにしても、残留孤児として中国に取り残され、その後の日中両国の国交回復によって帰国事業が始まった当時は、この方々の動静も大きく報じられた。

 

しかし時間の経過とともに、この方々の動静も忘れられがちになっている。

 

日本から、いわば〝棄民〟された状態だった元・残留孤児の方々は、歳を取ってからの帰国で日本語の不自由な方も多く、〝今浦島〟のような状態で日本に帰国して来られた。

 

それこそ物心がつく前に中国の東北部に置き去りにされ、日本とは縁もなく過ごして来た方々が、今では高齢者となり、日本の中でひっそりと暮らしている人も多い。

 

こうした元・残留孤児の人たちが、自分たち同士で集まって話したり、語ったりできる場を持っておられる。この活動の時間は、この人たちにとってとても大切な時間だと思う。

 

 

(帰国された元・残留孤児の方の活動/ニュース映像より)

 

以前にふとしたきっかけで私が知り合った人が、偶然にもこうして帰国された人の子どもだった。その人は日本に来て年月が経ち、日本語も不自由はなくなっていた。

 

それどころか、その人の子どもさんが大学を受験するということで、まったく普通の日本の親の一人として気をもんでおられた。

 

このように普通に日常を暮らしている人たちも、掘り起こして行けばそれこそ多様な背景を抱えていることもある。

 

そして今、この国に暮らす人々の中で、新たにこの国にやって来た人たちが300万人ほどになっている。この数字は、京都府の全人口をしのぐほどの数になっている。

 

文化的背景が異なる地域からこの国に来て、定住することになった人たちは、それぞれにいろいろな悩みや苦労も抱えている。

 

多文化共生と行ってしまえば〝きれいごと〟になるけれど、一昨日にも書いたように、中には差別的な言葉や視線に苦しんでいる人もいる。

 

そんな中で、その人たちがくつろげる居場所があるということはとても大切なことだと思う。明日はそうした場にお邪魔して、活動の一端を覗かせてもらう。

 

微力だけれど何かのお役に立てるのなら、私のような高齢者でもできることを見つけて行きたいと思う。