派閥政治の復活劇を見る思い | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

昨日見た光景は、かなり異様なものだった。テレビニュースに流れた、自民党の派閥のトップの記者会見の様子である。

 

画面には麻生・細田・竹下の3氏という、大派閥のトップが映し出されていた。この3人が率いる派閥は、次の総裁選挙で菅官房長官を推挙するとして記者会見を行っていた。

 

その中に、菅官房長官を推すもう一人の大派閥のトップ、二階幹事長の姿がなかった。当然のごとく、記者からは二階氏の姿がないことに質問が出る。

 

すると麻生氏が、「二階派はすでに推挙を決めておられるが、今日、新たに推挙を決めた3人が会見した」と答えた。それは、単純な事実関係としてはその通りなのだろう。

 

だが、内実は少し違っていたらしい。二階派に対しては、この記者会見のことが知らされていなかったらしい。つまり〝二階派外し〟という構図を見せつけたかったのだろう。

 

この数ヶ月間は、いや特にこの数日間は、菅氏と二階氏の間で緊密な関係が出来つつあるような報道が見られた。

 

コロナ禍が起こってから、安倍総理は7年にわたってコンビだった菅氏から、いわゆる官邸官僚と言われる補佐官を務める官僚たちを、対応策を含めた相談相手としていたようだ。

 

それで、安倍総理と菅氏との間にすき間風が吹いている、と言われてきた。たしかに総理は、辞任表明の直前には麻生氏と二人で会談を重ねていた。

 

一方で菅氏は、その間二階氏と頻繁に連絡を取り合っていたらしい。明らかに、官邸内部が二重構造になっていたということだ。これでは、すき間風どころではないだろう。

 

この数日間で総裁選挙に向けた動きは、菅氏が一気に優位に立つ状況になった。いわゆる「雪崩現象」が生じたことになる。雪崩を打って情勢がそちらに向かい始めた。

 

こうなれば、総裁候補を持たない派閥は、どの派閥も〝勝ち馬に乗り遅れるな〟ということになる。その結果昨日は、3つの大派閥のトップが揃って会見を行うまでになった。

 

何のことはない、国民はまたぞろ〝派閥政治〟の復活劇を見せられることになった。20年前に小泉純一郎・元総理が、「自民党をぶっ壊す、派閥政治を打ち破る」と吠えた。

 

そして〝小泉劇場〟が続いていた間、派閥は鳴りを潜め、じっとその状況に耐えることになった。さらに〝安倍一強〟と言われている間は、安倍総理に逆らうことはできなかった。

 

ところが今回の突然の辞任劇である。これで「ヨーイ、ドン」ということになった。途端に、〝我が派閥は〟という派閥ありきの大合戦になったのである。

 

つまるところ、20年前までクロニクル(歴史年表)が巻き戻されてしまった。自民党という政党は、理念や政策によって集合した政治集団というよりも、政権与党であることを求める集団である。

 

だから思想的にも政策的にも、かなり振り幅が大きい人たちが集まっている。そんな人たちの集団が、さらに〝選挙の際にお世話になった〟とか、地縁・姻戚関係といった人的要素なども絡み合って政党を構成している。

 

だから、こうした〝しがらみ〟からも政党の内部で小グループを生み出す要素を、もともと内在させている。しかも、衆参合わせて400人ほどの議員がいるから、仲の良し悪しだって生まれてくる。

 

結果として自民党内の派閥という、日本独特の政治集団ができ上がってしまう。派閥政治の弊害ということは、それこそ耳にタコが何度もできるくらい、繰り返し言われてきた。

 

田中角栄・元総理と、福田赳夫・元総理の、ポスト佐藤栄作を巡る総裁争いは、歴史に残る熾烈な派閥同士の戦いだった。それくらいに、政治姿勢から政策まで異なる集団だった。

 

その後も、長らく自民党内では派閥政治が続いていた。そんな中から、自分のグループを率いて党を割って出て行った小沢一郎氏なども現れた。

 

この自民党で〝奇人・変人〟として知られていた小泉・元総理が、「自民党をぶっ壊す」と言って国民的人気となり、国会議員票は少ないながらも、総裁選挙に勝ち抜く離れ業をやってのけた。

 

しかし自民党の内部で、派閥は消え去ることも絶えることもなかった。様々な離合集散はあったけれど、大臣などのポスト争いという面からは、自民党の議員も派閥に所属しているメリットがあったから。

 

そして今、コロナ禍で国民は疲れ果てているけれど、そんなことなど知らぬ顔で、臆面もなく派閥の動きが堂々と復活してしまった。どれくらい20世紀型人間なのだと思う。

 

このまま行けば、きっと今月半ばには菅内閣が誕生することになるだろう。その後はどうなるのか、私などにわかるはずもないが、新しいことが起こるとは期待できそうにない。

 

国のトップの顔が変わっただけで、後は今まで通りすべてのことが変化もなく続いて行くことだろう。ただし、大声での〝憲法改正〟という言葉を聞かされなくても済みそうだ。

 

その点だけはありがたいと思う。安倍総理の憲法改正という言葉の中には、思想が全く見えなかった。国の形を変えるという主張の裏付けが、何もないように思えていた。

 

さてこれで、この間の騒ぎも一段落することだろう。せめてコロナ禍からの脱却と、その先の生活再建に向けた道筋だけは、新政権の手でなるべく早く見せてほしいと思う。

 

 

 

2020年という一年が、真っ暗闇の一年だったというのでは切ないと思う。秋の紅葉のころには、せめて紅葉見物の散歩くらい、のんびりと出掛けたいと思う。