中国で大量の食べ残しを止める動きが | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

今日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌に、中国の食習慣に関する面白い記事が掲載されていた。

 

日本で仕事をしている王青さんという方が書いておられた「中国人が『食べ残し文化』を見直し、日本の食事に衝撃を受ける理由」という記事だった。

 

私も以前、毎年のように中国に出掛けていた時期があった。そんな時はいつも、中国側が主催する歓迎宴があり、中国を離れる最後にはこちら側が答礼宴を催した。

 

こうした時には必ず、ご存知の通り中国の強い白酒(スピリッツ)による〝乾杯〟の洗礼を受けたものだった。

 

 

 

しかも、日本側のあまりお酒が飲めない人の分まで、私など限られた何人かの呑ン兵衛のところに乾杯が回って来るので、さすがに最後には目を回すのが常だった。

 

そして回るテーブルの上には、前菜から始まって魚に豚肉に鶏肉、揚げ物に炒め物と、大皿にドカンと乗せられて、とても食べきれないほどの料理が並べられていた。

 

 

 

この『てんこ盛り文化』が、中国式の礼儀・作法だということは知っているつもりだった。だがさすがにそんな中国でも、大量に発生する〝食べ残し〟に対して、習近平国家主席が批判の演説をしたというのだ。

 

記事では、「習近平国家主席が811日、『節約を励行し、浪費を反対せよ』と発言」し、「これに呼応するように、(中略)中国の主要マスコミが一斉に国民に向かって、食べものを大切にする重要性を訴え始めた」ということだ。

 

ただ記事では、こうした食べ残しが発生するのも、「裕福な都市部だけにとどまる。現在でも、内陸の貧困地域においては、約1億人が満足する食事ができていないのが実情」だとも書かれていた。

 

中国の建国後も、数年に及ぶ大飢饉があったり、食料が十分に行き渡らなかったり、といった時代がかなり長く続いた。

 

それでも中国には、「『民以食為天』(民は食を以て天と為す)という言葉があり、生活の中でとにかく食事を重視する傾向」があったという。それこそ千年以上の大昔までさかのぼって、こういう文化だったのだと思う。

 

だから中華料理は、フランス料理・トルコ料理と並んで、世界三大料理の一つに数えられるくらいまで進歩したのだろう。

 

 

 

それにしても今回の習主席の発言の裏には、「コロナで多くの地域が封鎖され、さらに深刻な洪水被害による『農作物の不作』があるともささやかれている」と述べられていた。

 

たしかに現状では、長江(揚子江)の上流で大洪水が起きていて、中流にある世界最大級の「三峡ダム」が、決壊すれすれの水量に達しているという報道もある。

 

すでに三峡ダムの放流量が増加し、すぐ下流側でも洪水が起きつつあるらしい。さすがにこの巨大なダムの崩壊ということにはならないだろうが、それでも農作物の大被害が気になるほどの洪水が心配されている。

 

だから、食料の無駄を止めようということらしい。だけど、長い『てんこ盛り文化』の歴史が一朝一夕に改まるとも思えない。

 

 

 

「『食事を残してはいけない』『出されたものは、すべて食べないと失礼だ』と考える日本とは、まったく逆の食文化」で、「中国人は客人をもてなすために盛大に注文して食べ残すことを『礼儀』と考え」ているのだから。

 

お隣さんとはいえ、これほどに違う文化の中で生きているのだ。中国の心ある人たちも、「本音ではあまりよくないと思い、それなりの罪悪感を感じてはいる」ということらしいが。

 

〝ところ変われば品変わる〟ではないけれど、文化の相違というのはこういうことなのだと思う。『てんこ盛り文化』が、この先どんなふうに変わるのか、それともやはり変わらないのか。

 

世界的な食料需給から言えば、中国にとっては食料安全保障問題がアキレス腱になるかもしれない。それが文化であっても、国家としては厳しい問題かもしれないと思う。