多様性こそがグローバルスタンダードだと思う | がいちのぶろぐ

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「『外国人労働者』との付き合い方が、これからの企業の生命線になる理由」という記事が、今日配信されたダイヤモンド・オンライン誌に掲載されていた。

 

季刊誌「Oriijin(オリイジン)春号」に掲載された、玉腰辰己氏という方が書かれたものの転載、となっていた。

 

「(筆者が勤める)『協同組合ユウアンドアイ』は、そうした職場に東南アジアの方々を紹介して」いるという。〝そうした職場〟というのは、「地方の土木工事現場や工場で食品を加工している」企業などだ。

 

 

 

「そういうところにいま外国人労働者が急速に増えて」いるのだという。こうした「外国人を紹介する『監理団体』という機関が日本には二千数百社」もあるという。

 

つまり「技能実習生」として日本にやってくる外国人労働者を、受入れ側の日本企業に仲介をする組織ということだ。

 

こうした仲介組織や受入れ企業の中には、ブラックな事業者もあるため、時には待遇や労働条件などを巡って問題になることもある。しかし、「なぜわたしたちのような『監理団体』の仕事が必要とされている」のかを説明されていた。

 

例えば「土木業界では人手不足が深刻」で、「ハローワークに求人を出しても応募者が来ない。やっと来たと思ったら、待遇が不満ですぐに辞めてしまう。結局、人手不足で、仕事はあるのに会社をたたむところも珍しくない」という現実があるからだという。

 

技能実習生は、日本人なら「待遇が不満ですぐに辞めて」しまうような場合でも、頑張って仕事をしてくれる。そして海外の家族に送金をしているという。

 

ただし、技能実習生と受入れ企業が上手く付き合って行くためには、「文化背景の異なる外国人を仲間にし、感謝したり共感したり、世話焼きしたりといったようなこと」を、「会社ぐるみで、しかもどこかおもしろがりながら実践」できるかどうかだという。

 

 

 

これまでの「国際化」は、「日本から世界に製品を」売るための「国際化」だったけれど、これからは「人手不足を補うための、日本が社会を維持していくための『国際化』、いわゆる『内なる国際化』が必要」だと述べられていた。

 

そして「これはもうソーシャル・イノベーション(社会変革)の試み」だと結論付けておられた。こういう現実が、私たちの周りにすでにあることを、私たちも理解すべきだろう。

 

この記事を読んで思い出したのだが、42日付のこのブログで、私も「多様性の時代とはこういうことだ」と題する文章を書いていた。このブログの要約も再掲してみる。

 

これは、331日付で配信されていたダイヤモンド・オンライン誌に掲載された、テクノ・サービス グローバルセンターの伊藤薫氏の、「外国人社員の不満・悩みからわかった!日本人上司に持ってほしい配慮」という記事を紹介したものだった。

 

 

その記事で伊藤氏は、「彼ら(注;伊藤氏の外国人の部下)は私たちが思いもしない瞬間に言葉の壁にぶつかっている」と書かれていた。

 

これは「難易度の高い表現を習得していないだけで、やさしい表現に改めれば通じるケースは意外に多い」と説明されていた。

 

「相手(伊藤氏の部下の外国人)が自身の母国語と異なる言語でコミュニケーションをしてくれている」ことに、「話し手がどれだけ配慮できるか」がポイントだという。

 

だから伊藤氏は、「相手の日本語レベルに合わせることでコミュニケーションの問題はかなり解決」できると言う。つまり、「相手に確実に伝わるよう明示する、すなわち話し手の責任が大きく問われるのがグローバルスタンダード」だという指摘だった。

 

外国人を雇用した場合に生じる「企業からの懐疑的な声も、課題の根源はコミュニケーション不全にあること。それを解消するには、まずマネジメント側が変わる必要」があるという結論だった。

 

どうだろう。今日の「『外国人労働者』との付き合い方が、これからの企業の生命線になる理由」という記事と、考え方がどこかで通底しているように思えるのだが。

 

今日の記事では、技能実習生と受入れ企業が上手く付き合うために、「文化背景の異なる外国人を仲間にし、感謝したり共感したり、世話焼きしたりといったようなこと」を実践する必要があるとされていた。

 

どちらの場合にも共通しているのは、働いている外国人は〝外国に来て〟働いているという現実を前提にして、受入れ側やマネジメント側がその〝事実〟をどれくらい理解できているか、ということになる。

 

〝日本で外国人と一緒に仕事をする〟ということは、今日の記事にあったように、私たちにとって、それ自体が「ソーシャル・イノベーション(社会変革)の試み」と言ってもいいようなものなのだろう。

 

 

 

それくらいに、この日本に住んでいる私たちは、〝外部世界〟との付き合い方がまだ十分には身に付いていない、と言えるのではないだろうか。

 

定住している外国人がすでに300万人近くになっている、という現実をあらためて思い起こすべきだろう。