〝指殺人〟とか〝指殺者〟といった、おどろおどろしい言葉が並んでいる。一昨日、テレビ番組にも出演していた若い女子プロレスラーが、みずから命を断ったらしい。
その原因として、いわゆるツィッター上での誹謗中傷に傷つき、耐えきれずに死を選んだ、といわれている。前途ある若い方がと思うと、残念でならない。
テレビなどに出演していれば、必ずアンチと言われる人々も現れる。そうした人たちの中には、匿名をいいことに出演者に心ない言葉を浴びせかけ、それで自分がスッキリするという輩が少なからずいる。
今は「不寛容の時代」と言われているが、本当にそうなのか。不寛容などといったことではなく、わかりやすい目標に向かって、ただ自分の苛立ちをぶつけているだけに思える。
ヘイトスピーチをはじめ、今回のような誹謗中傷に対しては、表現の自由との兼ね合いではなく、SNSを管理運営している事業者に厳しい罰則を与えることを前提に、法整備が求められるだろう。
亡くなった若い女性レスラーのご冥福をお祈りするとともに、インターネット社会が持っている怖さを知らせることになったこの件を、絶対に無駄にしてはいけないと思う。
それにしても、なぜここまで自制心を失くした社会になったのだろう。どこかに向かって苛立ちをぶつけていないと、自分の精神が耐えられないという時代状況なのだろうか。
この国のかつての高度成長期は、人口増大期でもあった。人口が8500万人から1億人に達する時代だった。それは同時に、内需が拡大する時期でもあった。
パイが大きくなって行くから、それを分かち合っていればハッピーになれた時代だった。しかし今や、人口は急速に減少に向かい始めている。モノが飽和する時代になって、簡単には内需も拡大しない。
この国の名目GDPは、1990年以降ほとんど伸びていない。この30年間で他の国々が伸びたことを考えれば、相対的には大きく退潮している状況だ。
一人当たりGDPでは、先進工業国の中でも随分と下の方になった。もはや、決して豊かでもハッピーでもない国になっている。
にもかかわらず勝手な思い込みで、いまだにこの国が経済大国だと信じ込んでいる。この思い込みと決別することから始めなければ、何事も始まらない。
かつて得意としてきた家電製品も通信機器類も、もう諸外国に勝てる分野ではなくなってしまっている。まず負けを認めないと仕方がない。そこから考え始めるべきだ。
SNSへの誹謗中傷の書き込みに見られる苛立ちは、この国の経済構造の中で、自分だけが沈んでいるといった憤りも含まれているように思う。
しかし、今回のウィルス騒動で自粛要請が続く中で明らかになったように、本当はもう経済が好転する要素などまったくなくて、誰もがギリギリまで追いつめられていたのではなかったか。
そのことに気が付いていなかったというか、気が付きたくなかっただけだと思う。数年前に流行語にまでなった「地方消滅」も、すぐそこまで忍び寄っている事実なのだ。
この事実を正視したくないという気持ちはわかるけれど、このままでは『日本丸沈没』は非現実の話ではない。
これを立て直す一番の決め手は、政府の掛け声ではなく、草の根からの『地方創生』以外にはありえない。
有難いことに、インフラの整備は一応完了している。だから、この間急速に一般化したテレワーク・システムを活かせば、この国のどこに住んでいても仕事ができるようになってきている。
脱首都圏・脱東京という視点から、次の時代を見据えて何事かを開始すれば、新しい動きを生み出すことも可能になる。
誹謗中傷の書き込みに代表される苛立ちは、待っているだけで自分からは動かない状態によって生み出される、と言ってもいいのではないかと思う。
暗いと思ってしまえばそれまでだけど、有難いことに、この国はやろうとすればできることがまだまだあるような環境だと思っている。