「竹久夢二」の世界にどっぷりとはまった | がいちのぶろぐ

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今日は好天になった。それでも明日は、気温こそ高いけれど荒れた天気になるという予報が出ている。明日の雨は、「催花雨」になりそうだという。桜の開花を促す雨ということだ。

 

この雨の後、今週末にかけて桜の開花が発表されるところもありそうだ。昨夜の天気予報では、東京や名古屋で今週末にも桜の「開花宣言」が出るかも知れない、と言っていた。

 

 

 

なんとも気の早い、桜の季節の到来になりそうだ。東京都の小池知事が、今年は「花見の宴」を取り止めてほしいと言っていた。そうなれば、寂しいお花見になるかも知れない。

 

京都・東山の「花灯路」も、先週金曜日の夜から今週いっぱいにかけて開催予定だったけれど、これも中止になっている。

 

 

 

何でもかんでも自粛、自粛では、経済も心もしぼんでいく一方だ。だからと言って、新型コロナウィルス騒動に終わりが見えるわけでもない。株式市場も2万円割れになっている。

 

ただマスコミの報道における扱いも、随分と小さくなった。どこか特定の場所で行われたイベントなどでは、今も集中的な感染が起きているけれど、日常生活での大流行は起きていない。

 

実際はすでに大流行しているけれど、検査をしてくれないから実数が表に出てこないだけかもしれない。それでもバタバタと倒れる人が出て、死者が激増しているということでもなさそうだ。

 

つまりは、ここまでの大騒動をするほどのことでもないだろう、という気分になりつつあるのかとすら思える。

 

通常のインフルエンザだって、多くの学校閉鎖や学級閉鎖が行われる。それを思えば、そこまでの感染の広がりはない、ということも言えるのだろうか。

 

私は専門家ではないから何とも判断できないが、何だか竜頭蛇尾になりつつあるかも、という気もしている。

 

とにかく、家にくすぶっていても仕方がないので、今日は好天だからと、午前中から中心部にあるデパート・京都高島屋で開催している「竹久夢二展」に出掛けてきた。

 

 

 

ご存知の通り、大正モダンと昭和ロマンを駆け抜け、美人画と挿絵、本の装丁などを行った画家であり、グラフィック・デザイナーであり、さらに詩人でもあった多彩な人だ。

 

私の学生時代に、京都・銀閣寺の近くの表通りから少し入った場所に、「夢二」という小さなスナックがあった。当時マダムだった人の母親で、その店を始めた人が竹久夢二の絵のモデルになったと噂されていた。

 

真偽のほどは確かめようがなかったけれど、そこへ飲みに行く学生の間ではそう噂されていた。店の中には、夢二の小品の絵が飾られていた記憶がある。

 

夢二は一時期、京都にも住んでいた。家は清水寺にも近い「二年坂」にあった。今、その場所はお土産物などを売る店になっているが、夢二の作品のレプリカなども売っているらしい。

 

とまあそんな夢二なのだが、首の細い華奢な女性が、S字型に体をくねらせた姿を多く描いていた。こうした絵の雰囲気は、私もけっこう好きだ。ということで、夢二展に出掛けた。

 

 

 

郷里の岡山県にある「夢二郷土美術館」が収蔵している絵画や屏風、挿絵の原画や本の表紙など150件ほどが出展されていた。

 

これらを、解説も丁寧に読みながら、ゆっくりと見て回っていたら1時間余りが経過していた。中には、有名な作品も出品されていたし、アメリカにわたって油彩画に挑戦していた時期の作品も展示されていた。

 

 

 

描かれている長襦袢のしどけない姿の女性が、身体を少しひねった姿勢から放つはかなげなエロチシズムと言うのか、それが私にはとても魅力的だった。

 

夢二はグラフィック・デザイナーという仕事を、日本で最初に切り開いた人ということも言えるだろう。

 

本の表紙を飾った絵や、本の装丁なども多く展示されていた。現代風ではないけれど、決して古いと思わせるものでもなかった。

 

 

 

もちろん展示室内は撮影禁止だった。展示室をグルッと一回りして1時間余りを経過したころには、さすがに軽い疲れを覚えるほどだった。

 

たまにはこうした美術展も良いものだと思う。ところが来週、京都高島屋で予定されていた「ユトリロ展」は中止だという。厚生労働省のお達示なのだそうだ。

 

同時に予定されていた「大東北博」も、震災から9年が経った東北を応援する企画だけど、これも同様に中止だと掲示されていた。

 

今日も店員の方は、全員がマスク着用姿だった。何だか物々しい姿だったが、こちらも何しろ厚生労働省からのお達示とあれば仕方がないのだろう。

 

むしろ不特定多数と会話する仕事だから、店員の方も大変だろうと同情してしまった。そんな日になった。