今年もまた迎春準備慌ただし | がいちのぶろぐ

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家人は昨日あたりから、迎春準備というか、子どもや孫たちを迎える準備にバタバタと忙しく立ち働いている。だから、いつもより少し苛立ち気味である。

 

こんな時には、なるべく接触を減らしておくのが、亭主として生きるための知恵である。無用の軋轢は、避けるに越したことはない。

 

昨日は、私もようやくその気になって、年賀状の作成・印刷と、宛名の印刷に明け暮れていたので、ブログにまで手が回らなかった。

 

 

 

とは言え、このところ、かつての仕事関係の方宛ての年賀状は減らしに減らしている。

 

それでも、小・中・高時代の旧友や、大学の級友、ゼミの先輩・後輩に運動部の先輩・後輩、個人的なお付き合いの方々など、やはり100枚ほどにはなってしまう。

 

これでも、随分と不義理をしていると思う。それとともに、年内に届く喪中葉書も一時期は随分と多かったが、友人の両親の喪中という知らせが一段落し、かなり少なくなった。

 

ところが今度は、本人の訃報がポツリポツリと現れ始めた。今年も、ゼミの後輩の奥さまから訃報が届いた。

 

数年前に、東京の彼の第二の勤務先で会って以来、しばらく会っていなかった。おとなしいけれど、とても優秀な男だった。

 

第二の勤務先では〝のんびりやらせてもらっている″と言いながら、満足そうに働いていたのだが。享年68歳だった。まだ若いと思う。ご冥福をお祈りしたい。

 

櫛の歯が欠けるように、先輩・旧友・知己が少しずつ幽冥たもとを分かって行く。それも世の習いだろう。いずれ、私がその立場になる。

 

だからこそ、〝まだ、こうして健在ですよ″という意味を込めて、年賀状を送るのだが。

 

そして例年なら、ご近所の奥さま方が集まって、〝餅つき″ならぬ〝餅こね器″を使って、正月の餅を作るのだが、これもとうとう取り止めになったらしい。

 

理由はあえて聞いてはいないが、いずこも徐々に老夫婦だけの家庭になっている。正月には、それぞれ家族が顔を揃えるといっても、かつてほどは餅を準備する必要も無くなった。

 

 

 

我が家も、今年は「豆餅」で有名な京都・出町商店街の「双葉餅」で、小餅を購入することになった。

 

といっても「双葉餅」では、昔のように年末の予約受付は行っていないそうで、明日の朝早くから、私が行列に並ぶことになった。

 

家人から、〝行列に並んで、買って来てくれるか″と聞かれたので、二つ返事で引き受けた。当然のことである。ここで否という答えなど、あろうはずもない。

 

こうして少しずつ迎春準備が進んで行く。家人は今日、朝から黒豆を煮たり、〝栗きんとん″を作ったりしていた。34日前にはデパートへ、何やら買出しに出掛けていた。

 

先週末には、近所のお酒の安売り店が歳末セールだったので、私が買い出し担当として、自転車の前籠に積めるだけの、焼酎や日本酒、缶チューハイなどを買って来た。

 

京都は、白味噌のお雑煮でお正月を祝う。それも、このところ元日は2人だけのお祝いで、2日に息子の家族・娘の家族がそろう。2日は、息子の家族もお昼に白味噌のお雑煮を食べる。

 

2日の夜だけは、全員が揃ってワイワイとなるが、息子の家族は、その夜には大坂に引き上げる。跡は3日に、千葉都民の娘家族がどこかへ初詣に出掛けたりするくらいだ。

 

だから、3が日はあっという間に過ぎる。その頃は、我が家の〝おせち″も冷蔵庫の中も空っぽになっている。31日には、冷蔵庫が膨らみ過ぎるほどになるのだが。

 

こうして4日に豆台風が去って行くと、家人はグッタリして、エネルギー切れの状態になる。私は、またしてもソッと自分の部屋でおとなしくしている。

 

これが、我が家の正月の恒例行事となっている。それでも家人は、孫たちが遊ぶようにと、アマゾンで新しいボード・ゲームを買い込んでいた。

 

 

 

我が家にある孫たち用の段ボール箱のおもちゃ箱も、赤ちゃん時代のものから、最近のゲームまで、色んなものが詰まって来た。これも、孫たちの成長の証しだろう。

 

さて、明日は早起きしてお餅を買い求めに出掛けなくては。