黒電話からスマホまでの距離感は | がいちのぶろぐ

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家人が長年使用していたガラケーが、とうとうダメになって来たので、あきらめてスマホに変えることになった。そのお伴で、長時間販売店に行っていた。

 

横で見ていても、中々簡単には使いこなせそうにない。あとは「習うより慣れろ」で使っていくしかないだろう。

 

一昨日、七五三のお参りに行った小学校1年生の孫は、親のスマホを見よう見まねでそれなりに使えているから。さらに、最近のことで非常用サイレンが着いたスマホタイプの形態をランドセルに着けている。

 

 

 

むしろ、こうしたものをぶら下げて登下校しないといけないという、世の中の方が恐ろしいと思える。自衛のためとは言いながら、万一の場合に備えているのだから。

 

まだ空は薄暗いけれど、朝から降っていた雨もようやく降り止んだ。

 

この間、立て続けに襲い掛かった大雨で被災された地域は、雨が降るたびにやるせない気持ちになられることだろう。一日も早い復旧を、お祈り申し上げます

 

それにしても、デジタル・ネイティブの孫たちは、むしろ黒電話の方が珍しいかもしれない。それもダイアルをジーコジーコ回すタイプとなれば、もう博物館モノだろう。

 

それくらいに時代が様変わりした。私が子どもの頃は、などと昔話をしても仕方がないが、家に電話があるところが少なかった。だからご近所に電話をして、呼び出しをしてもらっていた。

 

逆に言えば、それくらいにご近所付き合いが濃かったとも言える。また、急ぎの時には「電報」を送ったものだった。電報などと言ってもわからない世代が増えた。

 

電文は1文字いくら、という料金体系だったから短い文章にした。「カネオクレタノム(金遅れ、頼む)」は「金をくれた、飲む」とも読める、という笑い話は、今ではギャグにもならない。

 

携帯電話が普及してからは、待ち合わせ場所の指定が“ずさん゛になったと思う。大体の場所を指定しておけば、後はその場所で携帯で連絡を取り合えば出会える。

 

好きな女の子に電話をかけるのでも、一家に1台の黒電話であれば、親父さんが電話にせることもある。「君は誰だ?」と聞かれて、しどろもどろになる、なんてことが日常のことだった。

 

 

 

だから、デートの誘いなどというシャレたものでなくても、女の子の家に連絡をかけるのはダイアルに手を掛ける前に、深呼吸の一つもしたものだった。

 

最近では、そんな時代の方が、何となくステキなように思える。電話する前のドキドキ感が懐かしい。そんなドキドキ感を味わう時期を過ぎて、大人になって行った。

 

ただ単に、家人がスマホに買い替えただけなのだが、電話というものが果たす役割の変わりようを、つい思い返していた。

 

手のひらに乗っかる大きさのコンピュータを持ち歩く時代なのである。だけど、災害の起きるたびに、スマホも含めて通信手段が貴重なインフラであることを改めて知ることになる。

 

阪神淡路大震災の折りに、携帯電話の存在がクローズアップされることになった。電話回線が不通でも、携帯電話なら連絡が取れることがわかったから。

 

それ以来、携帯電話の普及する速度が上がったと思う。そして今、誰もが超小型コンピュータをポケットに入れている時代になった。

 

ただし、ガラケーと呼ばれるようになった携帯電話は、あくまで黒電話の進歩だった。それがスマホになって、まったく別のものに変わった。

 

インターネットとスマホによって、ライフスタイルが大転換した。その波に取り残されていた家人にも、とうとうその時が来たということだ、