ガバナンスの欠如が招く結末は | がいちのぶろぐ

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先週末から、吉本興業のタレントの〝闇″営業に端を発した問題が、次々と波紋を広げている。日本の芸能界が体質的に持っている前近代性が、一気に噴出した感じがする。

 

写真週刊誌のスクープなどによって、何か不祥事が明るみに出ると、芸能人とマネジメント側が「持ちつ持たれつ」できた運営スタイルが危うくなり、社会に向かって〝けじめ″を求められる。

 

その〝けじめ″の着け方が、〝社会の倫理観″に基づく評価と合致すれば、それで一件落着となる。しかし、何かの原因で〝食い違い″が生じてしまうと、テレビのワイドショーなどにとって絶好のネタを提供することになる。

 

今回の一連の騒動は、当初は芸人側に非があるということで、一定期間の謹慎処分を行うことで終わるはずだった。だが、写真週刊誌が追い打ちでスクープを掲載したために、会社側が謹慎処分では済まないと思い、契約解除を行おうとした。

 

 

 

それに対して芸人側が、捨て身の反撃に出ることとなった。事件発覚後からの会社側のトップとの協議の一部始終を、自分たちが独自で記者会見を開いて、涙ながらに暴露した。

 

会見で明らかにされた、協議の席での会社トップの発言内容が衝撃的だった。会社側はこれまでも何かあるたびに、再三にわたり「コンプライアンス順守」を口にしてきたはずだ。

 

それなのに、その会社のトップの言葉とは思えない、パワハラのレベルを明らかに超えた、〝脅迫まがい″の恫喝の言葉の数々だった。

 

こうなれば芸人側は、支持するファンも大勢いる人気のある存在である。しかも記者会見を見る限りでは誠実に全てを告白して謝罪している、と思わせる内容だった。

 

これによって、会社側にボールが投げられた格好だ。これで追い詰められた会社側が、あわてて行った記者会見は、「不誠実」な言葉に終始したという印象を与えてしまった。

 

もうこれで、一巻の終わりである。誰が見ても、会社側は「臭いものに蓋」という形で、逃げ切ろうとしたという印象を与えた。

 

元はと言えば、芸人側の決して誉められない行動に端を発していた。それが、「トップが、あんな〝ものの言い方″をするような会社だから・・・」ということになってしまった。

 

会社としての「危機管理能力の低さ」という問題とともに、商品が「生身の人間」という場合の、企業経営の難しさも感じさせられた。

 

芸能人をマネジメントする側は、時には厳しい言葉で、芸能人に対して社会的な教育をせざるを得ない局面もあるだろう。

 

だが現代は社会の側が、教育という状況であるからこそ、そこで要求される「倫理観」を必然のものとして見ている。

 

教育という視点での「倫理観」が欠けていれば、マネジメントする側が責められることになる。これは教育界で起こる、「体罰」や「いじめ被害」の場合などでも見られる図式だと言える。

 

今回の問題も、社会の側からすれば「あの親にしてこの子あり」という判断になる。しかも、〝不肖の息子″が「謝罪をしたい」と言っているのを、〝親″の側が「人の噂も七十五日」で逃げ切ろうとした。

 

教育すべきはずの〝親″の側が、〝息子″が人前で謝罪することすら許さない、ということだったから、社会は一挙に〝親″の行いを責めることになった。

 

これが、今日までの一連の騒動の流れだと思う。芸人側の記者会見で涙ながらに語った、「謝罪したい」と言うのを、会社のトップが「謝罪したら、連帯責任で全員クビ」と言ったというのは、おそらく事実だろう。

 

こんな恫喝を行ったのが事実なら、もうマネジメント会社のトップは持ち堪えられない。1年間報酬の50%カットなどと言っても、世間は聞く耳を持たない。

 

協議の場におらず、こうした発言もしていないけれど、マネジメント会社の親会社に当たる〝ホールディングス″の会長も、責任を取って報酬カットの処分、というならわかる。

 

騒動の一方の張本人であるマネジメント会社のトップは、ここまで大騒動にしてしまったガバナンスの欠如に対し、責任を取って辞任するのが、〝世間″が考える〝当然の措置″である。それがわかっていないことの方が、危機管理能力の欠如なのである。

 

生身の人間を商品とする場合の、企業経営の難しさがここにある。しかし、一般的に言って、商品こそ人間でなくても、それを作り、売っている「人間」は常に存在している。

 

だから、欠陥商品などの問題が起こった場合に、どのように対処すればよいかは、今回の一連の出来事の流れを、自分たちなりにきちんと検証すべきだと思う。これほど、手本となる生きた教材はないから。

 

この先もまだ、吉本興業の件は尾を引いて行くだろう。長引けば長引くほど、傷を深くするのは会社の側である。もう、引き返せないところに来ていることを、どれほど理解しているだろう。

 

思い返せば、雪印乳業の牛乳食中毒事件があった。記者会見を強引に打ち切って堆積した社長に、追いすがった記者が問いかけた。その時社長が吐き捨てるように、「オレは寝ていないのだ」と言い放った。

 

その様子が、テレビカメラに収められていた。これですべてが終わった。一瞬の出来事だった。たった一言だった。社会は、そこにこの企業の姿勢を見たように思った。

 

企業と自己の保身だけがあって、被害者の姿などは眼中にないと、社会は理解した。その後、子会社の食肉偽装などの問題も起こして、雪印乳業はあっけなくガタガタになった。

 

牛乳業界での、絶対的なトップブランドの地位を失うどころか、牛乳ブランドとしての“雪印″は消えてなくなった。それからブランド復活まで、どれだけの期間を要したことか。

 

「お笑い界のトップブランド」である吉本興業が、東京キー局のバラエティ番組において、絶対的なポジションではなくなりつつあるように思える。〝大阪的″なお笑いの「アクの強さ」が、今では絶対ではなくなりつつあると。

 

そんな時に起こった今回の騒動が、一つの大きなターニング・ポイントとなるように思われる。〝お笑い″が大好きな私だが、今回ばかりは、笑えない場面が多すぎるような気がしている。