情念の 場にふさわしき 親不知 | がいちのぶろぐ

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「越後つついし親不知」という言葉が頭に浮かんできて、離れなくなってしまった、なぜかはわからないが、この言葉が、今朝からずっと頭にこびりついている。

 

あまり気持ちが悪いので検索をしてみた。水上勉さんの小説のタイトルだった。そう言えばそうだった。同時に、東映で映画化されていた。1964年の映画だった。東京オリンピックの開催された年である。

 

 

 

今井正監督作品で、三国連太郎さんと佐久間良子さんが主演をされていた。キャスティングを見れば、小沢昭一さん、東野英治郎さん、殿山泰司さん、清川虹子さん、北林谷栄さんなど懐かしい名前がずらりと揃っていた。

 

 

 

これで、何かがふっと解けて行くような気がした。

 

親不知海岸は、北アルプスの山々が北へ伸びて、白馬岳から黒姫山を経て日本海へなだれ落ちる場所である。山がそのまま海へ雪崩込むようになったところで、北陸新幹線もこの辺りではトンネルになっている。

 

昔、歩いて旅をしていた頃、親不知の辺りは、越後と越中の国境にある旅の難所だった。間違って足を踏み外すと、崖から転落してしまうし、日本海の荒波はしぶきを上げながら打ち寄せて来る、そうした場所だった。

 

(親不知海岸)

 

だから、付けられた名前も「親不知」である。そんな場所がタイトルになっている。水上勉さんらしい題名だと思う。冬であれば、雪の混じった荒波のしぶきが襲い掛かって来る。空は鉛色に覆われている。想像するだけでも、暗鬱な気分が漂う。

 

親不知の北側には新潟県糸魚川市がある。フォッサマグナと呼ばれる、日本を南北に分ける構造線が通っている。糸魚川市から南へ小谷村、白馬村を通って長野県大町市に至る姫川渓谷である。

 

 

(北アルプスの山々)

 

大町市から松本市、塩尻市を経て、岡谷市で諏訪湖と出会い、伊那市方面に向かう伊那谷となる。最後は天竜川となって南下し、浜松市の郊外で太平洋に至る。

 

現在も天竜川を境に、東側の東日本は電気の周波数が50ヘルツ、西側の西日本は60ヘルツである。いわば日本の東と西を分ける境界線になっている。

 

こんな大きな列島構造線の、最北端に当たっている場所が親不知である。その先は、ドスンと日本海に落ち込んでいる。

 

「越後つついし親不知」の冬は、きっと人の心を凍てつかせるだろうと思う。いかにも、水上勉さんが描く小説の舞台にふさわしい気がする。そう思うと、なぜ頭の中でこの言葉が離れなかったかがわかる気がした。

 

昨日は春の初めを思わせるような気温だったけれど、今日は冷たい北風が吹いて、雲が低く垂れこめているので、気分がすっきりとしない日になっている。

 

円広志さんが作曲をして、森昌子さんが熱唱した「越冬つばめ」の舞台も、きっと親不知のような場所だったのだと思う。「♪ひゅるりー ひゅるりらら~ 聞き分けのない女です」と歌っていた。

 

 

 

冬のツバメは、旅立ってもきっと凍え死んでしまうだろうと想像させる。決して明るい未来が待っているような情景ではない。

 

最近のヒット曲が、愛だの恋だのと歌っていても、そこには男と女の情念は感じられないが、石川さゆりさんの「天城越え」といい、この「越冬つばめ」といい、暗い情念の炎に焼き焦がされる男女がいる。

 

そこにはカップルなどはいない。あくまで男女がいる。水上勉さんが描く世界も、こうした歌謡曲の世界も、明るい未来が見えなくても、今を生きる男女の想いや体温が込められている世界だろう。

 

「越後つついし親不知」という言葉が、今日、私にもたらした気分は、この何となく暗鬱な空の下にいる自分の気分だったのだろうと思う。