しっとりと 梅の香のごと 鳥居本  | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

好天になった。この間、時折り晴れ間は見えるけれど、鉛色の雲に覆われる時間が長かった。だが今日は、風こそまだ冷たいものの、朝から日射しが心地よい。まさに「春近し」と思わせる陽光だ。

 

これで一気に、梅の蕾も膨らむことだろう。梅見に出掛けたいという話は、このブログでも書いたけれど、今日配信されていたインターネット情報誌「TRIP EDITOR」でも、全国の梅の名所が紹介されていた。

 

 

(京都・北野天満宮の梅)

 

私たちの世代にもあまり実感のない話だと思うけれど、昔は日本の「三名園」として、大名庭園の「水戸・偕楽園」「金沢・兼六園」「岡山・後楽園」の名前が挙げられていた。私より上の世代なら、これは一般的なことかもしれない。

 

その「水戸・偕楽園」は、「梅の名所」として知られている。茨城県が魅力度ランキングで、この数年間は最下位になっているが、こんなに有名な場所を抱えている。東京からも、さして遠くない場所でもある。

 

 

(水戸・偕楽園の梅)

 

私は、梅の季節でもない暑い時期に一度だけ水戸市内を訪れたことがあるくらいだけど、もし近くに住んでいれば、梅の季節に一度は行ってみたいと思う。

 

 

(水戸市と言えば「黄門様」)

 

そもそも梅の花は香りが高く、夜の闇の中に梅の香りが漂ってくる、といった場面が古くから和歌に詠まれたように、〝大人の感覚″で楽しむものだと言えるだろう。

 

和菓子の世界では、老舗の「とらや」には羊羹の「夜の梅」という有名なブランドがある。また創業800年を超える老舗の、文房四具を扱う「鳩居堂」には、練香の「梅ケ香」というお香もある。それくらい、梅は古くから親しまれてきた。

 

 

 

 

桜の場合は、太閤秀吉の「醍醐の花見」というお花見行列の騒ぎだったり、江戸時代には〝春が来た″とばかりに、庶民が花見の宴にワッと出かけたりという、賑やかなイベントだったのだろう。

 

 

(京都・醍醐寺の桜)

 

の点、梅はさしずめ「貴族趣味」なのかもしれない。夜に漂う梅の香りなど、花を見るわけでもなく、心情が重なって初めて成立する「雰囲気」を楽しむのである。やはり、大人っぽいのだと思う。

 

こんなことを考え始めたのも、先週、お手伝いをしている高校の「総合学習」で、一年の総決算となる「校内発表会」が行われ、その時のことを思い返していたからである。

 

 

 

私がお手伝いをしているクラスに、「奥嵯峨鳥居本」地区をフィールドとして考えてきたグループがあった。発表では、「嵯峨野巡りの始発点」と題する発表を行っていた。

 

 

 

「鳥居本地区」は、愛宕山頂にある愛宕神社へお参りする人が通る「愛宕街道」に沿った集落で、有名な鮎茶屋があることでも知られた場所だ。この鮎茶屋の風景は、ホンダのCMにも使われたことがあった。

 

 

 

ただし、大観光地である「嵐山」から、直線距離で2kmほど離れているという、微妙な距離感の場所で、嵐山から歩いて行けばずっと結構な上り坂が続いている。また、桜や紅葉の嵐山や、紅葉の名所が立ち並ぶ嵯峨の寺院ほどの派手さがない地域である。

 

そこでこのグループは、鳥居本地区にある二つの「念仏寺」、「愛宕(おたぎ)念仏寺」と「化野(あだしの)念仏寺」の、有名な多くの「石仏群」の写真なども使って、「幽玄な場所」という捉え方で紹介していた。

 

 

(化野念仏寺「千灯供養」で石仏に供えられた蝋燭が揺れる光景)

 

さらに「鳥居本地区」の〝魅力″として、「落ち着いた雰囲気」「歴史的・伝統的建造物がが近くにたくさんある」「空気がきれい」「外国人に人気」「親切な人が多い」といった点を上げていた。

 

 

(鳥居本地区の景観)

 

ころが、である。発表会の時に私が横で聞いていると、その高校のある先生から、こんな質問が出された。「ここに上げた『魅力』は、全てが京都の他の多くの観光地にも当てはまることではないか」と。

 

その時発表をしてた男子生徒は、グッと答えに詰まってしまった。私は心の中で「頑張れ」と叫んでいたのだが、残念ながら彼は「まいった」をしてしまった。小さな声で「そうですね」と答えてしまった。

 

私はすごく口惜しかった。京都の観光地なら〝どこにでもありそうな魅力″を、全部兼ね備えていることが「すごいこと」なのだと思う。しかも、京都市内では3カ所しか指定されていない「伝統的建造物保存地区」に指定されている。

 

 

 

その事実が、このグループの言いたかった「歴史的・伝統的建造物がが近くにたくさんある」という魅力だったのだ。

 

大観光地であるがゆえに、今や「オーバーツーリズム(観光客過多)」として心配されている嵐山からほんの少し先にありながら、数千体にも及ぶ石仏に囲まれ、静寂感が漂う「幽玄の地」というこの「落差」の大きさ。

 

この発表で残念だったのは、最後の結論に当たる部分の「課題解決策」で、とても良いことを考えながら、それを発表では上手く伝えきれなかったことだった。

 

 

 

一つ目の解決策は「模擬プランの作成」だった。鳥居本を出発点として、嵐山に至る一日観光コースのモデルプランの提示だった。しかし、発表では具体的なプランとしては示されなかった。話し合いの中では、プランが完成していたのに。

 

二つ目は「この地区限定販売のフリーパス発行」というものだった。これは、鳥居本地区でだけ発売される、「鳥居本・嵯峨・嵐山拝観フリーチケット」というアイデアである。鳥居本へ行けばそれが購入できる。

 

有名な観光寺院が立ち並ぶこの地域で一日観光をすれば、拝観料だけでもバカにならない。財源の問題は、高校生のアイデアだから置いておくとして、安い一日フリーチケットを、ここだけで限定販売するというアイデアは、集客策として評価されるべきだと思う。

 

最後は「古民家の再利用」である。古民家が数多いこの地区の特性を生かし、古民家カフェなどを提案していた。これも、この地区の景観を壊さないように、しかも古民家の再活性化を行おうということだ。

 

実際に行った場合、経営が成り立つかどうかわからないけれど、こうしたことは大人も耳を傾ける必要がある内容だと思う。

 

 

 

何よりも、「派手なイメージの嵐山」や、「はんなりとした紅葉の嵯峨の寺院」に対して、鳥居本地区は「静寂な幽玄さや、しっとりとした情緒」が感じられる場所なのだ。

 

これは最初に書いた「桜=花見」の持っている「派手なイベント」感に対して、「梅=漂う香り」が持っている「大人の雰囲気」と通じるものがあると、私には思えるのだ。

 

彼らにそこまで求めるのも気の毒かもしれないが、せっかく議論の中ではできていたことを、発表として十分に伝えきることができなかったことは、残念で仕方がなかった。

 

それでもこの一年間で、今まで行った経験どころか、存在さえ知らなかった鳥居本地区に、何度も足を運び、何とか自分たちの視点で捉えることができたことを、良しとしないといけないだろう。

 

今週顔を見た時には、ねぎらいの言葉を掛けてあげないと。