昨夜は、私が関わっている「定住外国人支援」のNPO団体の新年会だった。元・西陣織の小さな機織り屋さんだったお家をお借りし、京都に定住している外国人の方も含めて20人余りが集まった。
「持ち寄り」形式のささやかなパーティーだったが、韓国の「チジミ」があったり、国籍不明の料理もあったりで、和気あいあいのパーティーになった。
そして今日は、朝から京都・一乗寺の山間にある「狸谷不動堂」の初不動に出掛けていた。ここは〝狸谷のお不動さん″と呼ばれて、京都では親しまれているが、実は大変な場所にある。
我が家から市バスを乗り継いで30分ほど、「一乗寺下り松(さがりまつ)町」で下車。かつて、宮本武蔵が吉岡一門と決闘をした場所が、この「一乗寺下り松」。今は石碑が建てられている。
この先には、紅葉が美しい史跡の「詩仙堂」があり、武蔵ゆかりの「八大神社」がある。また、下り松の石碑から詩仙堂への道と分かれて左の方へ行けば、門跡寺院の「曼殊院」もある。
その詩仙堂からさらに急坂を上り詰めた先に、狸谷不動堂があるのだが、下り松からでも急坂を上ること20分以上はかかるという場所なのだ。覚悟を決めて歩き始めた途端に、狸谷不動へのシャトルバス乗り場を発見。
これはラッキーとばかりに、30分に1本運行されている25人乗りくらいのシャトルバスに乗る。詩仙堂を過ぎたあたりから、バスはギアを入れ替えて、エンジン音を高くうならせながら坂道を上って行く。
お不動さんのすぐ下の駐車場まで、上ること5分ほど。助かった。バスを降りた途端に坂道はさらに傾斜が急になり、すぐに息切れしてしまう。この辺りは、昨日の積雪がまだ残雪として残っているほど、市内とは気温に差がある。
さてお不動さんまでは、ここから250段の石段が続く。途中には狸の置物が飾られていたり、「迎え大師」の像があったりして、その折々に足を止めて一息入れる。最後に現れる真っ直ぐの急な石段を上りきれば、やっと不動堂の〝真下″に出る。
この時には、もう完全に息が上がってしまっている。ここで小さなお堂にお参りしたり、手水舎で口をすすいだりして、ホッと一息つくことになる。最後の石段を上りきったところに不動明王を祀った不動堂が待ち構えている。
この不動堂は、清水寺と同じように「舞台造り」になっている。要するに山の頂きに近い谷間にせり出した形で、お堂が建てられている。そして不動明王は、谷の崖にある「石窟」の中に鎮座しておられる。
パンフレットによれば、ちょうど300年前の1718年にこの石窟に不動明王が安置されたのだそうだ。
(狸谷不動堂内陣/パンフレットより)
そして今日は、初不動ということで「がん封じ」の笹酒が振る舞われていた。だから、私と同じ年くらいの方が、この難路を大勢上って来られた。ここへお参りしようとしたら、それだけでも十分な運動になる。
高齢者には、これだけでもすごい運動なのだが、私よりはるかに歳が上に見える女性も、エッチラオッチラと石段を上っておられた。
不動堂の舞台からは、谷越しに京都の町が遠くに白く霞んで見えていた。不動明王の内陣の脇で振る舞われていた「がん封じ」の笹酒は、山伏姿の方から、葉が付いたままの竹を切った猪口にいっぱいに注がれて渡された。
その場で一気に飲み干すと、けっこうホワッと酒が回る気がした。まあ、これで「がん封じ」になったと思うと、けっこうなことだ。ご利益ゴリヤク。
ということで、不動堂から下り始めたが、残雪が解けて濡れた急な石段は、上りには息が切れたが、下りは滑らないように気を付けて足を運ぶので、むしろこちらの方が足は疲れる。
ようやく石段を下り終えて、シャトルバスを降りた駐車場まで戻ったが、バスは出た直後だった。30分近くもぼんやりバスを待っているのも芸がないので、そのまま坂道を歩いて下ることにした。
(八大神社の鳥居)
バスがギアを入れ替えるほどの急坂を下るので、今度は膝ががくがくと笑い出す始末だった。少し下って「八大神社」の前まで来たので、ついでにお参りを。本堂の脇には若き日の宮本武蔵の姿を映した像が建てられていた。
(宮本武蔵と言えば二刀流)
また参道の掲示板には、古い映画のポスターが貼られていた。中村錦之介主演の「一乗寺の決斗」という映画。共演者は入江若葉さん、高倉健さん、丘みつ子さん。みんななんと若い顔なのだろう。
八大神社のすぐお隣は詩仙堂。石川丈山が、三十六歌仙の画像を掲げた草庵を結んだ。紅葉の時期には多くの人が訪れる。
さらに急坂を下って、一乗寺下り松まで戻ってきた。そのすぐ下には、「和菓子と洋菓子の店」の「中谷」がある。一時期は行列ができる人気店で、通販は予約待ちだった。今はさすがにそんなことはないが、それでもイートインのスペースには大勢のお客が。
中谷で、名物の「栗入りでっち羊羹」を買い求めて、市バスを乗り継いで帰宅した。家に帰って気が付いたが、太腿がけっこう疲れている。これは明日か明後日には足が痛むだろうと思う。
やはり〝狸谷のお不動さん″にお参りするのは、健康になる秘訣だったのだ。今日のようにシャトルバスのお世話になどならずに、急坂を自分の足で上り、下っていれば、これは確かに達者で暮らせることだろう。
かつてお不動さんにお参りするご利益は、こんなところにあったのだろうと思う。そもそもこの狸谷不動は〝修験道″の聖地であり、笹酒を振る舞っておられたのは、「山伏姿」の方々だったから。
それにしても、じわじわと太ももの裏側が痛み出している。