紅葉のシーズンが、真っ盛りを迎えている。この2年ほど、この季節にはあちらこちらへと、紅葉を求めて出掛けていた。ところが今年は、何かと予定が詰まってきたために、紅葉を見物に出掛けることができないでいる。
先週末も金曜から日曜まで予定が詰まってしまい、私にとっては“疾風怒濤″の3日間になっていた。金曜日はお手伝いをしている高校の「総合学習」で出かけていた。この日のことは、すでにブログで書いた、
その後、土曜日は知人からお誘いをいただいて、「夜西敏成監督トーク&『サファイア』上映会」というイベントに出掛けた。これは京都市の「東山いきいき市民活動センター」が主催するイベントだった。
(イベントのチラシ)
この市民活動センターの取り組みとして、もともと「動画作りを学ぼう」という講座があって、それに参加されていた私の知人などが企画をされたイベントだということだった。
上映された「サファイア」という映画は、夜西敏成さんという、40歳くらいまでサラリーマンをされていた方が、「知識・経験ゼロ」の状態から一念発起して製作された映画だということらしい。
(会場に飾られた広告用看板)
最近の映画にはすっかり疎くなった私でも、全くの素人が映画作りに挑戦するということの大変さは、何となく理解できる。映画は、大勢の人々が協力して作り上げる「総合芸術」だから、人集め、資金集めだって大変だろうと思うから。
(トークショーの光景)
哀川翔さんという有名な俳優さんがおられる。彼は劇場で公開する映画というスタイルよりも、「Vシネ」と呼ばれる、DVDで販売される映画を、自らプロデュースしながら多数世に送り出しておられる。
このように、現在では映画=劇場公開というスタイル以外にも、販売チャンネルが広がっていることは、私ももちろん知っているつもりだった。だからこそ今回、映画を製作された夜西監督という方も、映画製作にチャレンジできたのだろうと思う。
(夜西監督の話も興味深かった)
映画が大好きな学生などが制作する、ショートムービーなどと称される短編映画は、出来上がってからも、公開そのものが大変だろうと思う。自分たちで、手作りの上映会を催したり、何かのイベントで上映したり、コンテストに応募したりするくらいだろう。
また、劇場公開を前提として、有名な俳優や女優を起用して製作された映画は、テレビのバラエティ番組などに、主演した俳優・女優などが告知のために出演して、PRしていることも多い。こんな場合には、映画制作会社やテレビ局などが資金源となっていることも多い。
こんなケースでは、人気漫画を下敷きにして作られる映画も少なくないらしい。という程度には、私も知識はあるけれど、今では映画館に足を運ぶことも滅多になくなった。テレビで流されるスタジオ・ジブリのアニメなどを、たまに見ることもあるが。
その点、今回の夜西監督の「サファイア」という映画も、ジャンルとしては「Vシネ」ということになるのだろうと思う。だけど、それを脱サラまでして「知識・経験ゼロ」で作ってしまった熱意には頭が下がる。よほどの映画好きなのだろう。
トークショーでは、夜西監督とともに、プロデューサーの方も登壇されて、資金作りのお話などもされていたし、出演していた俳優さん女優さんも、会場に多数来られて挨拶をされたり、一緒に記念撮影することなどもできた。
(夜西監督と出演者の方々)
この日が、いわば「完成試写会のようなものです」という、主演女優の方の話もあった。またトークショーでは、「メイキング映像」も上映され、製作途中の様子や、特殊撮影の具体的な方法の種明かし、編集の苦労話なども聞くことができた。
(アクション映画なので、主演女優の方がかっこよかった)
私は、こうした監督や出演者が話すイベントという経験が初めてのことだったので、とても楽しかったし、ある意味で驚きの連続だった。こうしたイベントは滅多にないことなので、お誘いいただいた知人には、本当に感謝している。
しかもこのイベントは、あくまでも市民活動センターの活動の一環だから、イベントに懸る費用の全てはセンターが負担していて、参加費は無料というとてもラッキーな機会となった。お蔭で、半日たっぷりと楽しむことができた。
そして昨日の日曜日は、このブログでも何度か紹介している「となりの外国人とのおつきあいワークショップ」の2回目の開催日で、私も裏方スタッフとして参加していた。
いつも書いているように、「多文化共生」がますます進行している中で、とりわけ定住している外国人の方との付き合い方を知ろう、という趣旨で開催しているワークショップである。
だから昨日も、来日して間もない、日本語学校に通っている外国人の方に参加してもらい、各テーブル3人ずつの日本人が、外国人の方に向かって、与えられたテーマに従い、「テーマの内容を日本語で伝える」ことを実践的に学んだ。
これが、やってみると実に難しい。「やさしい日本語」、すなわち小学校低学年の子どもと会話するような日本語で、一生懸命に伝えようとするのだが、思いがけない「落とし穴」に入ってしない、説明に困ることが多かった。
(京町家の会場で開催されたワークショップ)
私も参加者の方と交じって、あるグループのテーブルに着いていた。私たちへのテーマは、「断水のお知らせ」という“ありがちな″チラシが、各家庭のポストに入っていた、という設定で、隣人の外国人にそれを説明してあげるという課題にチャレンジした。
落とし穴の一つ目は、「水道」という言葉だった。「水道」と言ったのでは、来日して間もない外国人には伝わらない。「水(みず)」という必要があった。もちろん「断水」は「水が出ません」となる。水が出ないからトイレも使えなくなる。それも伝えないといけない。
さらに「飲み水」などの確保として、事前に水を“汲み置き″しておくことも必要だ。ここに二つ目の落とし穴があった。「何かの容器に」では全くダメである。具体的に、「ペットボトル」などと言いつつ、その実物を見せたり、指差したりして説明する。
水が出るようになっても、しばらくは濁った水が出るから、少しの間、水を流しておくように、と課題用の「チラシ」に書かれていたが、これを説明しても、とうとうわかって貰えなかった。
「濁る」は「汚い」と言い換えて、「水が汚いから、3分間は水を出してください」と言ったら、「なぜ」と聞かれた。その説明に窮してしまった。水道管を取り替えたりしたのだから、濁水が出るのだろうけれど、外国人にどう言ったらそれが伝わるのだろうか。
そう言えば、落とし穴の三つ目に「チラシ」があった。「ポストにチラシが」と言ってもダメだった。「あなたの部屋に、この紙(と言いつつ、自分の家の分のチラシを見せて)は、ありますか?」と聞かないといけない。「チラシ」という単語がわからないのである。
実にいい体験ができた。日本に来て間がない外国人と、日本語で会話することとは、こういうことだったのだ。自分が外国に出掛けて、最初に感じたことはどんなことだったかと、家に帰って思い返していた。
こうして、立ちっぱなしだった金曜、座りっぱなしだった土曜、会場をウロウロとしていた日曜の3日間が終わり、今朝起きたら、身体がバリバリに固くなっていた。背中から腰、お尻にかけて筋肉が固まって、痛みを伴っていた。
それほど歩いたわけでも、もちろん走ったわけでもないけれど、何となく体を使っていたのだろう。こんなところで、情けないことに年齢を感じてしまった。
毎日、普通に会社へ出かけて働いていると、何とも思わないことが、日頃あまりにも何もしない暮らしになると、こういうことになってしまうのだと思う。少しは心しておこう。