巡り来たる 終戦記念日 曇り空 | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

今日は終戦記念日。一時期、テレビのニュース番組の街頭インタビューで、若い人に向かって815日に「今日は何の日ですか」とインタビューすることが続いた。

 

〝君たちは、こんな日すら知らないのか″的な、テレビの傲慢さをむき出しにした、思いっきりの〝上から目線″の番組作りだった。

 

〝メタボ爺″の私でさえ、「戦後生まれ」で、「戦争を知らない子どもたち」の一人なのである。その頃、テレビ番組でインタビューをする側だった人たちも、では一体、どれほど戦争のことを知っていたのだろうかと、その当時も不思議に思っていた。

 

 

 

昭和天皇の「玉音放送」だって、子どもの頃から、特集番組などで何度も聞かされてきた。GI帽をかぶった〝進駐軍″が、ジープで町中を走っている姿を、子どもの頃に見かけたこともある。

 

私が本当に幼かった頃は、記憶の中ではいつも下駄をはいていた。〝ズック靴″を買ってもらったのは、小学校に入る時だった。そのころ住んでいた家の23軒隣にあった、町の小さな電器屋さんで働いていたお兄さんは、自分を「フクインヘイ」だと言っていた。

 

子どもの私には、それがどんな意味かもわからなかった。親が「兵隊さんで、戦争に行っていた人」だと教えてくれた。戦争が終わって「復員」してきたのだった。私たち「団塊の世代」にとって、〝戦争体験″は身の回りに幾らでも転がっていた。

 

 

 

戦後になって流行した歌謡曲に「星の流れに」という、菊池章子さんが歌った曲がある。清水みのる作詞、利根一郎作曲で昭和22年の発売である。♪星の流れに 身を占って♪で始まる、街娼の女性の心の葛藤を歌った曲である。

 

 

3番の歌詞に、♪飢えて今ごろ 妹はどこに ひと目会いたい お母さん♪という部分がある。戦争によって(おそらく空襲に遭って)一家離散してしまった女性が、生きるために身を売りながら過ごしているのだろうと思わせる。

 

 

 

こうした女性がいたことも、周りの大人から聞かされたこともあった。誰がそういう境遇になっていても、不思議ではなかった時代だったのである。この曲の歌詞の最後は、♪こんな女に 誰がした♪で締めくくられている。切ない歌である。

 

無謀にも戦争に突入して行った男どもの陰にあって、結局のところは、泣かされてきた女性がいたのである。現代ならそんなことにはならない、と誰が言えるだろう。

 

 

 

〝戦争のリアル″というものは、もう薄れてしまっているだろう。それ以上に、テレビゲームや漫画の世界には、暴力が溢れ返っている。相手を倒したものが英雄となって行く、極めて単純化されたストーリーである。

 

人は古来より、強いもの、逞しいものに憧れてきたことは疑いもない。動物としての、種の保存という観点から見ても、メスは強いオスを選択するという。こうした漫画やゲームの世界は、それが端的に表れた、本能的なものなのかもしれないとも思われる。

 

しかし、弱者は淘汰されるだけというのでは、そこに人間らしい文化は成立しない。たとえ〝北斗の拳″のケンシロウが良い人であったとしても、彼に敗れ去り、「お前は既に死んでいる」と言われた相手にも、帰りを待っている家族がいたかもしれない。

 

しかし、それは漫画の中では描かれない。単純化され、暴力によって作り上げられる英雄伝説だけが喜ばれる、そんな時代相なのだから、作者はそこに行かざるを得ない。

 

戦後のある時期、小津安二郎監督の映画がもてはやされたことがある。小市民的であっても、そこにはきっと〝幸せ″があるという、しみじみとした人生の一幕を切り取って描かれた名作の数々である。

 

 

 

戦後も73年目を迎える。この秋の国会では、何としても憲法改正の端緒を開きたいと考えている人が、また総裁選挙で勝利しそうだという雰囲気になってきた。

 

自民党の元・幹事長の故・野中務氏や、同じく自民党の元・幹事長で、日本遺族会の元・会長でもあった古賀誠氏など、戦中派の政治家は、強面の方々だけど、憲法改正という面では、根っからの〝ハト派″的体質の持ち主だったように思う。

 

なぜ戦争をしてはいけないのかと、子どもに問われた時に、あなたはどう応えるべきかを書いた本が、結構売れているという記事を目にしたこともある。

 

ただひたすら、無条件に戦争を否定するのではなく、かといって、好戦的になる必要は絶対に無い、ということはきちんと説き聞かせる必要があると思う、

 

そして何よりも〝戦争のリアル″をきちんと伝えて行くとともに、〝戦争とは何か″をきちんと子どもたちに説明することが、何よりも大事なことだろうと思う。

 

歌人・与謝野晶子の詩に「ああ弟よ、君を泣く。君死に給うことなかれ」という有名な一節がある。「末に生まれし君なれば、親の情けは勝りしも、親は刃を握らせて、人を殺せと教えしや。人を殺して死ねよとて、二十四までを育てしや」と続いてゆく。

 

 

 

〝戦争のリアル″とは、個々人に還元されて初めて見えて来るものである。上層部にとっての戦争とは、非情な数字なのである。この徹底した相違は、埋めることはできない。

 

今日は、未明に台風15号が宮崎県に上陸し、九州を縦断して、今ごろは対馬海峡辺りに到達しただろう。そして我が家は、午後から〝暴風警報″が発令される予定だ。豆台風が我が家を襲来してくることになっている。

 

いつの間に覚えたのか、「俺、オレ」と、詐欺ではないけれど、元気に連発する1年生坊主になっている。「ジイジ、人生ゲームやろうよ~!」と、迫りくる豆台風くん。

 

今日は73回目の終戦記念日である。この国のトップが、好戦的ではないことを、〝戦争のリアル″を感じられるセンシティブな人であることを、強く祈念したいと思う。この豆台風くんが、与謝野晶子の詩の中の〝弟″のようにならないためにも。