千ブラに 外国の客 集めんと | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
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昨日は、高校の同窓会に出席したことや、お手伝いをしている高校の「総合学習」に関連して、上賀茂神社でのイベントに参加したことを書いた。その際に、ある商店街の再興のために頑張っておられる方のことにも少しだけ触れた。

 

今日は、そのことを少し書いておきたいと思う。まず商店街の場所である。位置を示す地図も掲げておくが、京都市の中央部くらいを南北に走る「千本通り」に存在する。

 

 

 

地図に示すように、北野天満宮ともそれほど離れていない。また、二条城とも1kmほどの距離にある。この千本通りの、北は今出川通りから、南は丸太町通りまでの約1kmが商店街になっている。

 

 

ただし商店街の組織としては、地図上に色分けしたように、この1kmほどが南北二つの商店会に分かれている。さらに、千本通りと交わる東西の通りである「中立売通り」も千本通りを起点に、西へ北野天満宮の前まで、少し曲がりながら商店街になっていて、こちらも別の商店会を結成している。

 

 

千本通りは、現在、京都市内で最も繁華な商店街である「河原町通り」と、かつては肩を並べる商店街だった場所である。この商店街が最盛期だった昭和30年頃には、千本通りの周辺には映画館が立ち並んでいた。その数は28館にも及んだということだ。

 

だから、人呼んで「映画の町」といわれていたくらいである。こういうと、中には思い当たる方もあると思う。そう、東京は浅草の浅草寺と隣り合う町「浅草六区」は、かつて映画と軽演劇、漫才・落語のお笑いの町だった。

 

この浅草六区も、一時期は〝人が来ない繁華街″になっていたが、今では浅草寺に集まる外国人観光客と、お笑いの芸人さんの活躍などで、少しは昔の勢いを取り戻している。

 

一方、千本通りは残念ながら映画館が次々と閉館し、現在はかろうじて「千本日活」1館だけが営業を続けているが、こちらもポルノ映画専門館になり、それも入場料500円という有り様である。

 

 

 

そして千本通りから少し離れた通り沿いは、今や若い人向けのマンションが立ち並ぶ街ともなっている。実は、千本通りという場所は交通環境で言うと、比較的良い場所に立地している。市バスの系統が数多く走っていて、千本今出川の交差点から東へ向いてバスに乗れば、10分足らずで同志社大学がある。

 

同じく千本今出川~から北へ、バスに乗ってこちらも10分ほどで佛教大学がある。西へ向かうバスに乗れば15分ほどで立命館大学に到着する。このように、学生にとっては自転車でも通学できる便利な場所で、生活をするにも、ほぼすべての商店や飲食店、コンビニがあるという便利な場所なので、ワンルームマンションがひしめき合う場所となっている。

 

さて、場所の説明を終えたところで、千本通りの商店街の話になる。約1kmにも及ぶ通りの両側に、今も商店や飲食店は数多く立ち並んでいるが、それでも後継者難や経営難で、シャッターが閉まったままのところも少なくない。どこにもある、商店街の今日の光景である。

 

しかも、新しく立地するお店は、全国チェーンのドラッグストアであったり、携帯電話のショップやコンビニだったりと、こちらも全国どこにでもある光景になってきている。だが、これではいけないという危機感を持つ商店主もおられる。

 

そこで、今月3日の夜に、そうした危機感から、現在、町の再興に向けた取り組みを開始しておられる方に会いに出かけることになった。ことの発端は、同志社大学大学院のソーシャルイノベーション研究プロジェクトで、この秋学期からスタートしたチームとして集まり、話し合う中から出て来たアイデアである。

 

インタビューの相手をしてくださったのは、田村ふとん店を経営しておられる田村成史さんである。ちょうど地図の上で、商店街の色が変わる境目の南側に当たる場所に店がある。田村さんご自身は「ふとんの匠」として、国家認定寝具技能士を持っておられる、「安眠のためのプロフェッショナル」の方である。

 

田村さんの話によれば、「ちょうど代替わりになった商店から、店を閉めたり、他人に貸したり」という現象が起こっているということだった。そこで、若い経営者を育てる取り組みを開始しているという。しかしこれも時間がかかる。

 

もう一方で、集客という意味では「100円商店街」という試みを行っており、店頭で100円の商品を購入すれば、店内での〝くじ引き″や〝ゲーム″などに参加できるようにしている。この日はやはり、子ども連れの家族が千本通り商店街に大勢訪れるという。

 

こうして、どこにどんな店があり、店内はどんな雰囲気なのかを知って貰うことが重要だという考えである。これは、少しずつ定着しつつあるということだった。

 

さらに、かつて千本通りは映画館が立ち並ぶ町だったけれど、さらに歴史を逆上れば、千本今出川の辺りは「西陣織」の町で、機織りの音が聞こえる地域だった。今も、大通りから少し入ると、織物関係の会社が多く存在している。

 

もっと前に逆上れば、千本商店街のすぐ東側は、豊臣秀吉が築いた「聚楽第」という「居館」があった場所になる。そのために「環濠の跡」などが残っていたりもする。さらにずっと時代を逆上ると、千本通り商店街の南の外れに近い辺りには、平安京の「大極殿」があった場所の遺跡になっている。

 

つまり、平安京の昔は「皇居」の中か周辺部に当たる場所で、その後は西陣織の産地として栄え、一方で、秀吉が住居を築いた場所でもあったという、古い歴史を持った町でもある。

 

そして映画館が林立していたその少し前の時代までは、水上勉の名作「五番町夕霧楼」の舞台となった遊郭の町「五番町」も、千本通り商店街から少し西に入った辺りに存在した。現在はもちろん遊郭は存在しないけれど、当時の建物も何軒か残っているという。

 

 

(五番町に残っている遊郭だった家)

 

そこで、田村さんはこうした千本通りの歴史を知って、興味を持ってもらうために、「千ブラ」という活動をはじめられた。建築家などの協力も得て、建物案内や千本通り界隈の町歩きを楽しんでもらおう、という企画である。

 

 

 

これには、丁寧な資料も準備しているということだった。たまたま、インタビューをお願いした翌日の4日(土)が、その「千ブラ」の開催日に当たっていたので、私は同窓会のため参加できなかったが、一緒に訪問したメンバーが千ブラに参加することができた。

 

また、この辺りも外国人観光客向けの簡易宿所が増えているけれど、今のところはそうした簡易宿所と商店街の連携も上手く取れていないので、今後の課題ということだった。そこで、今度は私たち「ソーシャルイノベーション研究プロジェクト」の側が、「外国人向け千ブラ」を逆提案することとなった。

 

資料の翻訳や、説明の通訳もこちらが準備できるのではないか、ということになり、来年の2月を目途に開催することで、その日、田村さんと約束ができた。これは面白い企画になりそうだと、田村さんにも喜んでいただけた。

 

つまり、私はこの「外国人千ブラ」の開催を引き受けるメンバーになってしまったのである。これは、この先どう展開して行くのだろうか。外国人観光客といえば、この千本通り商店街から近い「北野天満宮」や、少し離れた「金閣寺」や「二条城」を訪問するのが目的だと思うが、そうした人たちをどうすれば「町歩き」に引き込めるだろうか。

 

ここは知恵の絞りどころになりそうである。さて、また一つ宿題というか、楽しい企画に首を突っ込むことになりそうである。