地域ぐるみ ブランド力を 高め行く   | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

昨日のブログで、京都の文化的な底流をなしている、室町時代の「公家文化と武家文化の融合」について、少し考えた。

 

有名観光地である京都はともかくとして、よく言われる「地域のブランド力」という言葉があるけれど、そもそもそれは一体「どのようなもの」なのか、ということである。ある地域が「○○として有名」であることとは何か、ということである。

 

「知名度があること=広く人々に認知されていること」と同時に、「そのことに魅力を感じてもらえること=他との差別化」の2つが、同時に成立している場合に、地域としてのブランド力があると言えるのだと思う。

 

ところで、商品価値が有る・無いということは、それを「購入する側・受け取る側・使用する側」が、自ら判断していると思う。当然、商品を作る側・売る側は、その良さをアピールするだろうけれど、最終的に決めるのは「受け手」の側である。

 

ということで考えるなら、「地域ブランド」の良し悪しを決めるのは、その「地域を認知」し、その「地域の内容を知って」から、その地域について「受け手」が判断を下すのである、ということになるだろう。何よりも認知していなければ、それ以上は展開しない。

 

しかも、現在、情報は溢れ返っていて、その中から「受け手」が拾い上げられる情報量には、おもずから限界がある。何かのきっかけがあるか、偶然目にするか、そういった不安定な偶然性でしか、その地域に関する情報と接する機会は巡って来ない。

 

だからこそ、その「偶然性を逃さない」ための工夫が必要なのである。国内的には、テレビの旅番組・グルメ番組といった、地域紹介番組に登場して紹介されるとか、テレビCMや映画のロケ地として利用されるなど、目に触れる機会を設ける努力が必要になる。

 

もう一つは、そこを訪れた人が各種のSNSで紹介するということもある。最近は、こちらが優位性を持ってきているように思う。旅番組・グルメ番組などでは、視聴者の側に「大袈裟で、宣伝臭さがある」という、疑いの目で見ることすら起こり始めているから。

 

その点、特に「インフルエンサー」と言われる、SNS上でフォロワーを多く抱えていて、発信力のある個人がSNSに投稿することは、内容に信頼性が増して、それが拡散されてゆくことの方が、多くの人への影響力としては、今では大きくなっているだろう。

 

国内旅行はもちろんのこと、インバウンド(外国人観光客)にとっても、「最も欲しい情報」とは「正確な情報」であり、その正確性とは「そこへ行けば満足が得られる」ことへの正確性である。これを担保するのが、写真や動画といった「映像情報」である。

 

味や匂いは映像化できないけれど、それらを彷彿とさせる映像が撮影できれば、それはそれで情報としての価値が有るのだから、「映像」が持つ意味は、極めて大きくなっている。今風に表現するなら「フォトジェニック」ということである。

 

特にインフルエンサーが発信する、「フォトジェニック的に優れた映像」を見て、「その場所に行ってみたい」と思うようになる。これが現在における、その「地域の認知」ということである。

 

だから、地域がこうした映像情報によって認知されたなら、次は、その「地域の内容を知る」ことになる。この場合、映像は、例えたった一枚の写真であっても多くのことをその中に含んだ情報となっている。

 

夕日が美しい場所であれば、夕日の写真を載せる。祭りが楽しければ、祭りの風景を載せる。このように、映像は、時に百万言の文字情報にも勝るほどの情報を含んでいる。だからこそのフォトジェニックなのである。

 

その映像情報と接して、そこに出掛けてみたいと思った人の場合は、そこへ行くための行程や、その場所にある宿泊施設、その土地の名物料理など、関連する様々な情報も合わせて知りたくなるだろう。

 

そうなって初めて、「受け手」はその地域から発信されている情報を、自ら進んで取得しようと考えるのである。現在、インバウンドであっても、団体旅行客はもはやメインの顧客ではない時代になったと思われる。仮に、まだそちらが量的にはメインであっても、その人たちは。自ら訪問先を選択することは少ない。

 

となれば、いずれ個人客を相手にするのだから、映像が撮られた場所に至るまでの、旅程を知るためのサポートが必要な場合もある。もう一方で、その地域が持っている旅行者のための「サポート体制」そのものの情報や、インバウンドであれば、通訳などの人的資源の情報もあることが望ましい。

 

さらに、SNSにもまだ掲載されていないような、「地域資源=名所旧跡・自然風景・行事・伝統工芸・産業現場訪問・スポーツ体験など」を、できる限り拾い集めて発信することも重要になる。可能なら、農・林・水産業や伝統工芸などで可能な「体験」や、そこにいるユニークな人物紹介といった「人的資源」などの情報も、併せて欲しいところである。

 

これだけのこと全ての情報収集・情報発信ができて初めて、「地域の内容を知らせる」ということになるのである。それもインバウンド対応を考えるなら、最低でも数か国語の言語に対応して行うこととなる。ある意味、気が遠くなるような膨大な作業量である。

 

ここまで行って、やっと「地域が認知」され、「地域の内容を知ってもらえる」ということである。これを民間事業者単独で、とか、NPO団体がボランタリーな努力で行うなどということは、現実的には不可能に近い。

 

だからこそ、国交省観光庁が提唱している「日本版DMO」と呼ばれる、「一元的な地域観光情報の管理・発信組織」が必要なのである。

 

このブログでも、過去に何度も書いてきたけれど、「地域ブランド力をつける」ということは、人を呼び込むだけでなく、そこから送り出された商品にも「ブランド力が着く」ということである。ヒトが来ることと、モノが出て行くことは、表裏一体のことだと思う。

 

だから結果として、DMOが果たす役割は「観光客のお手伝い」だけではなく、「地域ブランド力を高める」作業そのものだ、と考えることが必要である。それが、現状ではなお「観光客受入れ代理店」としての役割しか期待されていないことに、若干の不安を覚えている。

 

昨日、「京都の文化」の底流を考えたことから、ぼんやりと「地域を楽しく、面白く」するにはどうすればよいのだろうと考え始め、「そうか。DMOというのは『地域ブランド構築』のためには役に立つ『道具』なのだ」ということに思い至った。

 

だから、今日はとりあえずそのことを書き留めておこうと思った次第である。