花過ぎて なお人が行く 祇園さん  | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

今日も好天に恵まれた日曜だった。昨夜放送のNHK「ブラタモリ」では「京都・祇園」が取り上げられていた。先週は「京都・清水寺界隈」が取り上げられて、私の母校「清水小学校」の懐かしい校舎が映し出された。昨日は「花街・祇園」と「八坂神社」の関係が語られていた。

 

 

(清水寺)

 

この八坂神社は「祇園さん」と呼ばれて親しまれているが、なぜ「八坂さん」ではないのか、というのも、あまり知られていないことだ。そもそもは「祇園社」であり、“神仏習合”の見本のようなものだった。だから、祇園さんであり、祇園祭である。明治の“廃仏毀釈”によって、八坂神社として“登録”されたのである。

 

(八坂神社本殿)

 

(本殿脇から南楼門を見る)

 

この八坂神社の正門は、京都のメインストリート四条通に面した「西楼門」ではなく、社殿と正対している「南楼門」なのだが、案外知られていない。南楼門は修復工事が進められていたが、昨日落慶し、今日はその奉祝祭が営まれていて、祇園祭の山鉾の各町が、奉納の祇園囃子を演奏していた。

 

(修復なった南楼門)

 

(八坂神社の鳥居は南楼門の前にある)

 

(祇園囃子の奉納)

 

私は、好天を幸いと知恩院の山門前から円山公園を抜けて、散歩をしていたのだが、祇園さんの東隣の円山公園の枝垂れ桜も盛りを過ぎたとはいえ、名残りの桜を求めて、大変な賑わいを見せていた。

 

(知恩院の山門)

 

(円山公園のお花見の人出)

 

八坂神社の修復なった南楼門を見て、四条通を通ってきたが、どこもかしこも「人間渋滞」が起こって、何とも凄い人出になっていた。この分では、ゴールデンウィークなど、いったいどうなることかと思ってしまう。

 

(鴨川名物?の河原のカップル)

 

(高瀬川のほとりの名残の桜)

 

ところで、この観光客であるが、京都大学が春と秋に開催している「京都大学春秋講義」という市民講座の、この春の講座のテーマが「観光のまち 京都」と銘打たれている。今週から大型連休を挟んで3回実施されるが、今週の第1回目の講義は「観光経営を京都で考える」となっている。案内文では「『観光経営学』の視点で、京都の、そして日本の観光を考えて」行こうということである。

 

これは是非、聴講に行かなければと思っている。この間、我が家の周りでも、1軒の民泊が開業し、今まで古いアパートだったところが取り壊されて、そこに新たにもう一つ民泊(簡易宿所)が建設されるということだ。

 

京都は宿泊施設の満杯状態が続いているので、民泊の需要はあると思う。しかし、建設費と土地代を合わせれば、多分軽く1億円くらいの投資金額になると思われるが、稼働率が80%くらいあれば、3~5年で回収できるのではないだろうか。長くとも10年はかからないだろう。

 

そう考えると、観光関連事業の経営は順風満帆のように思えるが、果たしてどうなのだろうか。そんなにうまくいくのかしらと、人の財布ながら心配になってしまう。何よりも、この民泊の建設予定の看板に掲げられた施主の名前が中国の方らしいのだ。

 

やはり、中国の方は商売上手というか、顧客ターゲットを同胞の宿泊に絞り込んでいるのではないかしらと思う。そうなれば、かなり安定して集客が見込めるから、投資額が大きくても経営が成り立つのだろう。

 

なにしろ、我が家の辺りからは銀閣寺・北野天満宮へはバスで10分、金閣寺もバスで20分余りで行ける距離である。バスの乗り継ぎはあるけれど、清水寺・二条城だって30分を見ておけばよい。だから、立地的には申し分がない。

 

(北野天満宮)

 

ただし、周りは小さな住宅がひしめき合っている下町のような場所である。宿泊客と住民とがトラブルがないことを願っておこう。とはいえ、築100年になろうかという周辺の町家には、最近は欧米系の方も好んで住んでおられる時代である。まあ、取り越し苦労に終わることだろう。

 

(京都の下町の町家風景)

 

観光が、これからの日本の産業の柱の一つになることだけは、間違いないだけに、今日の京都の人出といい、我が家の周りの民泊ラッシュといい、京都大学の市民講座といい、「観光」を制するものは最大の勝ち組になって行くということなのだろう。

 

それにしても、今日は急に暑くなった。きっと25℃を越えて夏日になっただろう。私もドッと汗をかいてしまった。

 

(白川の流れ 知恩院前の辺り)