寒風の シャッター街でも 紡ぐ夢  | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

以前にこのブログで、「限界集落株式会社」と「脱限界集落株式会社」という、黒野伸一氏の2作の小説のことを書いた。いわば、そのブログの続きを書こうとしている。私がこれらの小説を読んだのは、文庫化(小学館文庫)されたものである。

 

最初の「限界集落株式会社」は、ある地方の町の外れの山間部にある限界集落に、祖父の跡を訪ねてきた東京のビジネスエリートが、ふとしたきっかけで、この限界集落の地域再生と関わるようになり、この集落の腰を落ち着けて、ついには村落共同体を六次産業へと引っ張って行き、再生に成功するという「活劇」物語だった。

 

そして続編となる「脱限界集落株式会社」は、限界集落の再生を成功に導いた立役者のビジネスエリートと結婚した、“限界集落での農業の中心人物”の娘である農業女性が、元・ビジネスエリートとのちょっとした夫婦喧嘩から、一時的に身を寄せることになった、限界集落も行政上で属している“町”の中心市街地の商店街が舞台となっている。

 

 

限界集落の名を冠した野菜ブランドと、再生過程の中で産み出した「ゆるキャラ」がブームとなり、そのブランドとゆるキャラをモチーフとした「大型ショッピングモール」が、麓の町の町外れに開店するところから話が始まる。

 

ショッピングモールには、東京に拠点を構える有名ブランドが“メイン・テナント”として入店し、開業当初から盛況になる。一方で、ショッピングモールの成功の勢いを駆って、デベロッパーたちは駅前の中心市街地の再開発を目論み始める。

 

夫婦喧嘩の挙句に農業女性が身を寄せていたのが、中心市街地に古くからある商店街の一角で「町カフェ」を営んでいる親戚の女性のところだった。この町カフェは、町の老人たちの憩いの場となっていた。その町カフェも含めた古い商店街が、市街地再開発の大波に呑み込まれそうになる。

 

詳しい話は、小説を読んでいただきたいが、再開発賛成派は、利権がらみの地方ボスや、新しいマンション暮らしに憧れる元・商店主などで多数派を形成するが、憩いの場を奪われる老人たちや、商店街に愛着を持つ人たちは、中心市街地の再開発に反対し、ショッピングモールと商店街の共生を模索する。

 

このように、小説は全国のどこにでもありそうな設定になっている。この再開発賛成派と反対派の葛藤が、小説の根幹となっているのだが、その中で作者の黒野氏は様々な意見を、登場人物に語らせている。

 

まずは、限界集落を再生した元・ビジネスエリートは、商店街と大型ショッピングモールの戦略の相違を、ショッピングモールは“高級路線”、“効率経営”にあると、商店街の反対派の人々に説明し、だから商店街は「交流戦略」を採用して、「顧客ごとにきめ細かく『おもてなし』を」すること、すなわち客との「おつきあい」が重要なポイントだと話す。

 

さらに小説の最後の解説において、「里山資本主義」の共著者の藻谷浩介氏も、元・ビジネスエリートの言葉を引用して、「(地域の特性を生かした経済は、グローバルな)マネー資本主義を補完するサブシステムとしてのみ機能すると思っていた。(中略)だが、その考えを根底から覆すような事実を目の当たりにした」という部分を、作者の黒野氏の“慧眼”の事例として挙げておられる。

 

単純なノスタルジーからの再開発反対というよりも、地元密着型で、地域にふさわしい経営の「あり方」を模索すれば、そこに何らかの解答が見つかるのではないか、ということである。

 

ただしこの物語でも、中心市街地にある古い商店街は、ご他聞に漏れず一時期「シャッター街」化しつつあった。そこで、この物語では主人公になっている農業女性と、その親戚の町カフェのオーナーは、様々な「活性化策」を実行している。

 

町カフェで、地元産食材を使って、地域の女性向けの料理教室を開いたり、ライバルであるショッピングモールでパートとして働く、地域の女性の小さな子供を預かって、町カフェに出入りする老人たちと一緒にお守りをしたりと、地域のつながりの中での「活性化策」を実行する。

 

こうした地域の人たちの努力に、小説なので多少の幸運も手伝って、徐々に賑わいを取り戻すようになって行くが、再開発賛成派からすれば、今さら“焼け石に水”というか、それだけではもはやどうなるものでもない、という感覚になっている。

 

こうしたことも、現実に毎日どこかで起こっているようなテーマである。ただ、解説の中で藻谷氏は、「同じ頑張るのであれば、(中略)自分の周りに暮らしていて共に助け合える人たちのために頑張りたい」とも述べておられる。

 

しかしこの小説も、「商店街の再生」という部分では、なお道半ばの状態である。商店主は高齢化しているし、商店もまだまだシャッターを閉じているところもある。

 

現実の問題としてみれば、各地で起こっている商店街の衰退は、オーナーの高齢化と後継者不在、それに税金対策としての店の維持という“消極的な経営”など、魅力ある商店街作りというには程遠いところも少なくない。

 

行政も、コンパクトシティなどの目標を掲げ、中心市街地の再活性化や、商店街の再生と取り組んではいるものの、なかなかその成果は上がっていない。何よりも、「再活性化の成功」ということは、お客が増え、昔の賑わいに戻り、商店街が経済的に豊かになって初めて言えることである。

 

そうでなければ、結局は、「遅かれ早かれ」中心市街地の商店街は、消滅してゆかざるを得ない運命なのである。後継者がいなければ店は消える。お客が来なければ、店は持たない。

 

厳しい現実ではあるが、その部分の取捨選択は迫られる時が来る。ただ、はっきりしていることは、高齢化が進めば、それに見合ったサービス形態と、高齢者が生きやすいシステム作りは必要になる。

 

それが、中心市街地の再生によって成し遂げられるのか、他の方法によることになるのかは、今のところ不透明である。

 

でも、希望的観測として、この「脱限界集落株式会社」という小説に込められたメッセージは、しっかりと受け止めたいと思う。それは、「町カフェ」という形で明示的に示されている「居場所」の存在である。

 

こうした「場」を核として、商店街再生を考えるということは、一つの解決策の提示であるような気がしている。