東京が第5波に飲まれる中で

東京五輪が幕を開けようとしています。



いやはや混乱の極みですね

無観客とか有観客とか

色んな意見がありますし


どちらの意見も理解できるので

なんとも言えません。



一般市民には公開されない情報も

沢山あるはずですし

最終的には蓋を開けなければ

何がベストだったのかは

分からないでしょう。




それより最近気になるのは

ワクチン接種に関する世の中の言動です。


ワクチン接種に

賛否両論あるのは自然なことです。



ただ


摂取するかどうかは

本人が自分の意志で決めることで


それに対して周りの人が

口を出すのはいかがなものか


と思っています。




例えば稀に聞くのは

親が摂取するのを

お子さんが止めるパターン。


偶然同じ時期に似たような話を

複数耳にしましてね


SNSで見た時に

頭の中で様々なことが錯綜して

考え込んでしまいました。



確かに

いくら因果関係が不明でも

(不明ということになってるけど)

亡くなる方もいるから

不安になるのは当然だと思います。


大切な親の命を心配する

お子さんの気持ちは分かります。


でもそれは

「本当の意味で」親御さんのために

なっているでしょうか。



私は医学薬学的なことは

胸を張れるほどの自信はありませんが

心と体の関係はよく分かります。


今回のワクチン接種に関しては

「迷い」が一番良くないと思っています。



これは私の意見ですが


ワクチンを打つ時に

心のなかに不安があると

必要以上に異物と認識するだろうから

過剰に体が拒絶反応をする可能性が

あるんじゃないかな。


また、

自分の免疫を信じて打たないと決めたのに

周りがワクチンを打つのを見て

不安を感じると

免疫力は落ちると思うんです。



「自分の決断を信じる」


それがワクチン接種に関して

私達が直面する課題になってる気がします。



だって


ワクチンを打っても

副反応が命に関わるかもしれないし


ワクチンを打たなくても

感染したら命に関わるかもしれない。


大げさな表現をすると

自らの命をかけた賭けなのですよ



でも普通に考えたら

「選択」とは

それに伴うリスクも

引き受けるということです。


そして大人なら

自分が決めたことに

自分で責任を取るのものです。


ただ、日本に住んでいると

命をかけた決断は非日常的だから

ある日いきなり

「命」の分かれ目に直面して

パニックになってるのかな、

と思っています。



だって冷静に考えたら

自動車の運転だって命に危険がありますよ。

電車やバスに乗っても

命の危険はゼロじゃありません。


その事実に直面する機会が

少ないだけなのです。



そして

職業で接種を求められるのは

不公平だという意見がありますが

私はそうは思いません。


職業を「選ぶ」というのは

それに付随する条件を

ネガティブ含めて

受け入れるということです。


冷たく聞こえるかもしれませんが

それを含めてサラリーマンです。



職業選択など全てをひっくるめて

「その人の人生」なのです。



自分が責任を取れるのは

自分の人生だけ。


他人の人生に干渉しても

自分は責任を取れません。


あなたが接種を止めた相手が

実際にワクチンを打つのを止めて

その後で感染して命を落としたら

どうしますか?


同じように

接種をためらう相手に

あなたが熱心に摂取を勧めて

それでワクチンを打ったあとに

副反応で命を落としたらどうしますか?



どちらも悲しむことはできるけど

責任は取れないでしょう?



だから

ワクチン賛成も反対も

正しい(と思われる)情報の

提供は大切ですが



自分が相手にできることは

相手の判断を尊重すること。

それだけです。



家族や友人など

どんなに親しい間柄でも

それ以上は関わりすぎです。




冷たく感じる人もいるかもしれませんが

私はそんな風に考えています。