8月もあと僅か
夏の終わりってなんだか寂しくて焦燥感に駆られます。
今年一度も食べなかった素麺が無性に食べたくなって素麺パーティーをしたら ちょっと落ち着きました。



ひと月前に長いこと看病したご主人を見送った奥さまから
四十九日法要前にカットをしたい、とご依頼を頂き伺った時のこと。

カットをしている間 大好きなご主人のことを溢れるように沢山お話ししてくださいました。
お若い時のこと、闘病中のこと、息を引き取る時のことを
時々涙を拭きながら。

「でもね、自宅で最後まで側で看病出来て、お医者さん達がついていてくれて、後悔が一もつないの、主人は素晴らしい人だった。」

話し終わるころには
穏やかな笑顔になっていました。



2025年問題が近づき
病院で最後を迎えることが難しくなる時代
自宅で(自宅でなくても)
家族や信頼できる人に見守られ
自分の人生や思いを伝えて旅立てるなら
それはとても穏やかで
遺された人の心の支えにもなるのだと思います。


私は常々 自分が死ぬ時は


「お母さん  死に方までおっちょこちょいだったね…  (゚ノ∀`゚)゚アヒャ」

なんて遺された人がうっかり笑ってしまうような逝き方が出来たら勝ちだな!
と思っているのですが

突然の別れになっても
遺された人が笑っていてくれるように

「私はいつでも好きなことをして幸せだよ♡」

と伝えています。




この棒が冷たくて気持ちいい〜
たぶん。