最近若い女子や男子と関わる機会が増えて色々なことを考えるきっかけになっております。

その中で
「異性を紹介してほしい」という声も聞こえるんだけども
びっくりするほど
男性も女性も「自称M」というんだよね。

いまでこそ慣れたけど
「なぜみんな初対面な私に性癖を…!?」とか思ったりしてぎょっとしたもんだ。

しかしながらその自称Mは話をきくうちに
「自分がリードしなくてよい関係」
を指していることに気づいてみたり。

どうも男女共に「リードする」ことに「面倒」を感じ、
あわよくば自分は何も変わらず相手に与えられることを望んでいるのか?
という印象を受けました。

実際に掘り下げてヒアリングしてみようとおもったりもするんだけどさ
多少のアレはあれども

彼女(彼氏)は欲しい。
けどどんな人がいいかっていわれても…?

みたいなフワフワした感じなのですよ。

それではおせっかいBBAもマッチングのしようがないというか。
また、欲しいなら積極的なのかというとそうでもなく

「いい縁があれば…っておもうけど、実際自分から行動することはとてもメンドクサイ」
といったスタンスなんだよね。
客観的にみると
「あぁこういう人に誰かを紹介しても少しでも嫌な部分や気に入らない部分があったら楽しくなさそうな雰囲気だすんだろうなぁ…」と思ってしまう。

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今現在における日本はとても恵まれていて
色々なアミューズメント要素のあるものであふれてる。

実際近年メキメキと成長してきたヲタ文化が一番わかりやすい例で。

私が10代のときはコンテンツ自体がメジャーではなかったので
コアな部分を取り入れるためには都会にいく必要があり、
都会の中でも池袋もしくは秋葉原にいかなければそのコンテンツに触れることはできない時代で。

でも今はネットがあって
様々な企業がサービスを展開してて
欲しいもの、見たいものはワンクリック。
お金さえはらえば限定コンテンツだって入手できる時代になっているわけで。

なので楽しくもないのに、飲み屋にいってブサイク共に金を払う必要もなく
自分の好きなコンテンツに必要分だけお金をかけて楽しめる。

自分もいままで思ってきた「仕事・趣味と同列に恋愛がある」のだろうと。
同列であってそれ以上にはなりえないし、実際もっと手軽に楽しめるコンテンツに
男女共流れても不思議ではなく、むしろ自然な形なのかもしれない。

実際一人でいてもさほど寂しくはないだろうし
私がガチでBBAになったらもしかしたら生存確認するためのSNSなんてのもできてても不思議じゃない。
そしたら家で誰にも気兼ねせずに好きなことをして暮らして
死んだとしても腐る前に発見してもらえる日本はそう遠くないのかもしれないね。

なので若い子における恋愛優先度なんて上がるわけもなく、
ふわふわしたもので「あれば楽しいんだろうね。」的なポジションで落ち着いているのでしょう。

それが悪いとは思わない。
けど、人間三大欲求のうちの大きい割合とされてきた性欲が減った国に
繁栄の兆しはみえないよなぁ~となんか人事のように思ったりするのでした。

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上記のことから
あくまでも私比の実感として
コミュニケーション能力においての格差が激しい。

人間が大好き~!って人は今この時代にもいてびっくりするくらい積極的に
人と関わってる。
反面、コミュニケーションをとるのが苦手で相手の意思を汲み取る努力さえしない人もいる。
多分、実際問題その半分くらいは「本当に関わり方を知らない」のでしょう。

なんかすごくもったいないなぁと人事なのに思ってしまう。

けれどそれはあくまでも私の主観であって
当人にしてみた余計なお世話以外の何者でもなく全然幸せなのかもしれないけどw

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私は幸せなことに沢山友人がいるとおもう。
それも地元以外に全国に。

側にいない分、日々常に連絡をとれるわけではないけど
大事におもっているし、その友人達には幸せでいて欲しいと願っているし想っている。

そして久しぶりに顔を合わせたときは楽しい時間を過せるという確信もあるし
相手も楽しいと思える。
私はいまこの年齢で
友人達とは一定の濃い密度でつながれていてとても幸せです。感謝。

(最後の一文が言いたいがための回りくどいブログでした)