医学が発達していなかった江戸時代、恐ろしい疫病である疱瘡(天然痘)
が流行した時、人々は疱瘡絵とよばれる絵や版画を護符として家に貼り、
疱瘡にかからないようひたすら願いました。
そして医学が発達したはずの現代の日本です。
不思議なことに、新型インフルエンザの猛威 に晒されています。
ほんとうに医学は発達したといえるのでしょうか。
それとも、新型インフルエンザは医学の発達をも上回っていると考えた
方がよいのでしょうか(次々に新型が発生する可能性も)。
日本の野生アライグマが鳥インフルにかかった話は こちら
。
チリで七面鳥に豚インフルがかかった話は こちら
。
なんにせよ、対策です。
こうなったら、江戸の先達・先祖に習って疱瘡絵の効力に期待するの
も良いかも
しれません(そうするしかなかったりして)。たとえば
為朝さま。いっちょう貼ってみませんか。
源為朝・伝説は ↓ へ。
歴史の中では保元の乱(1156年)、それのみにしか登場しない源為朝
ではありますが、その名前は人々に長く語りつづけられてきました。そ
れは、保元の乱で見せた為朝の活躍が鮮烈な印象を残しているからなの
でしょう。
軍略的には天才でありながら政治センスがなく、敗北の将となり悲劇的
軍略的には天才でありながら政治センスがなく、敗北の将となり悲劇的
な最後をとじるという点で、義経と為朝はよく似ています〔両者は甥と
叔父の間柄〕。
奥州で育ち、奥州で最後を遂げ、死後にジンギスカン伝説を生んだ義経
と九州で育ち、八丈島で最後を遂げ、死後に琉球王伝説を生んだ為朝。
日本人の判官びいきの感情に訴えかける点でも、この両者はまことに良
く似ています〔肉親の情にほだされやすい点まで似てますね〕。
小兵であったという甥の九郎義経に比較して、叔父である鎮西八郎為朝
の体格は絵に描いたような大兵。身長七尺(約210cm)、しかも左手が
右手より四寸(約12cm)も長いという弓の名手。そら、疱瘡神が逃げ出
したくなる気持ちもよくわかる/笑。
『13歳の時、父為義に勘当されて九州に追放された為朝。肥後の阿蘇
氏の婿となり自ら鎮西(九州)総追捕使と称して暴れまわり、菊池氏、
原田氏などの九州の豪族たちを討ち破った。朝廷は逮捕命令を出すが、
これに従わなかったため父が解官されてしまう。これを聞いて、為朝
は都に戻る ・・・』
『わずか2年程で九州全土を平定し、自ら鎮西惣追捕使(ちんぜいそう
『わずか2年程で九州全土を平定し、自ら鎮西惣追捕使(ちんぜいそう
ついぶし)を称した為朝。九州を平定するべく各地を転戦していまし
たので、為朝にまつわる鬼や大蛇退治の話は、九州のあちこちにちら
ばります。』
といった鬼さえ凌ぐ剛勇ぶりのエピソードをもつ為朝。天狗に剣術を教
わった義経と同じく、なにかと妖怪と縁のあるのも両者の共通点でしょ
うかね。
NHKさん、大河ドラマにいかがでしょう。NHKさんを批判する有象
NHKさん、大河ドラマにいかがでしょう。NHKさんを批判する有象
無象の子鬼どももたちまちにして退散するかも/笑。
北斎の肉筆画の佳品に鎮西八郎為朝図もあります。『鬼が数匹がかり
でも引ききれない為朝の弓。その場面を涼しい顔で眺める鎧兜姿の為朝』
という構図は、為朝の人となりを、見事に表現したものとなっています。
鬼より強い、いや為朝こそがまさに鬼の大将だったのかもしれません。
関連リンク - たくさん残る九州の為朝伝説の一部をこちらに
『熊本・雁回山伝説
』『佐賀・鎮西山と五万ケ池伝説
』

