私は潔癖症では無いのですが…、
トイレが不便だったり、手が汚れていても直ぐに洗えないとか、汗でベトベトでもシャワーを浴びれないとか…、
そんな不自由な状況下になる活動は、不可能な体質なんです。
なので、私の登山経験としては、学校行事の鍛錬遠足しかありません。
その鍛錬遠足は…、
確か小6だったと思います。
「鍛錬遠足」という軍隊の名残りと、レジャーを合体させた様なワード…、今風に言うと甘辛ミックス的な造語ですが…、
騙されました。
私は…、
「遠足=勉強しなくて良い=遊べる」
という三段論法によってワクワクしていたのですが…、
その根底に潜んでいる恐ろしい意味を、後から知る事になりました。
まず、純真無垢な私はルンルン気分でバスに乗っていたのですが、いつの間にか見知らぬ山の麓に到着したのです。
私(あれ?いつもの遠足なら、市民の森◯◯山なのに…?)
連行されるまま、その山へ、第一歩を踏み込んだのですが…、
この世の地獄の入り口だったと気が付いた時には、既に遅く…、
戻るも地獄、登も地獄だったのです。
もう、ヘトヘトで足が上がらない…、斜面が急勾配過ぎて普通のズックではズルズルと滑り、危険なんです。
それでも、皆に遅れまい!(>_<)と、必死で登りました。
もうドロドロ、ヘトヘトで、非力な私の気力体力の限界突破状態なのに…、
更に、容赦なく、その上を行く過酷さなんです。
何とか目的地に到着した時は、ドミノ倒しの如く崩れ、意識は片鱗しか残っていませんでした。
水筒の水で何とか蘇生した私の目に映った景色は…、
多数の仏教遺跡の様なオブジェ(墓跡?)に囲まれ、大パノラマの景観を見渡せる極楽浄土の様な不思議な場所だったんです。
私達は、そのオブジェに囲まれた場所で遊んだのですが…、
まるで、優しい人達に見守られている様な、不思議と穏やかな気持ちになった事を覚えています。
・:*+.\(( °ω° ))/.:+
後は下山するだけだから、楽だろう…、と思っていたのですが、とんでもない現実に直面しました。
急勾配の山道は、登る時よりも、降りる時の方が過酷だと知った瞬間でした。
もう、降りるというより、お尻で滑って降りた…、と表現した方が適切な位、何度も転け、スボンのお尻は泥だらけになりました。
この時…、
人生も登る時より、降りる時の方が難しいのだ…、と何処からか、天の声が聞こえた様でした。
確かに…、
登っている時には考えもしなかった、課題が待っているんです。
そして今、アラカンになった私は、間違いなく、人生の下り坂に居ます。
不要な物を削ぎ落とし、我欲に囚われず、人の道を踏み外さず…、が理想だけど。
滑って転んで、お尻を泥だらけにして…、でも、それも純粋に、必死に生きてる姿で、人生を下山するのも面白いかも知れない。
では、また。
(^_−)−☆