赤いよだれ掛け、赤い帽子。心の道しるべは今どこに? | kyon2のブログ

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お地蔵さんにお参りしたことある?

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kyon2地方では、地蔵盆という習慣は無いですねぇ

それに最近では、めっきりお地蔵様を見なくなりました。
どうしたんでしょう?

昔は気が付くと、あちこちの道端にひっそりと立っていて、誰かがよだれ掛けや帽子を掛けてありました。

道路拡張工事などで撤去されてしまったのでしょうか?

利便性の追求の前には、お地蔵様はただのオブジェに過ぎなかったのでしょうか?

元々、道端に立っていたお地蔵様は、信仰の為の偶像という意味と同時に、道しるべ的な役割があったのではないかと思います。

昔は、今の様に舗装された道でなはなく、人が踏みしだいて作った様な細い道だったと思います。

ああ、お地蔵様に出たから、この道で間違いない。と安堵すると同時に、道中の無事を祈る。

そんな、心の標識でもあったのだと思います。


ところで、お地蔵様と言えば、昔話の「笠地蔵」を思い出します。
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あのお話って、良く出来ています。

売れなかった笠は5つ、
雪を被るお地蔵様は6体。
数が合いません。

さて、貴方ならどうしますか?

この時、お爺さんは試されているのですが、私達にも究極の選択として問い掛けて来ます。

傘が無いのだから仕方ない…と、一体だけ見捨ててしまう?

いいえ、お爺さんは迷う事なく、「お地蔵様、汗臭いですが…」と詫びながら自分のほっかむりの手ぬぐいを外し、お地蔵様の頭に掛けてあげます。

自分が雪に濡れる方が、心が痛まないと知っていたからです。

例え自分が犠牲になろうと、一体だけを仲間ハズレにして通り過ぎる事は、もっともっと辛い気持ちになる事を、お爺さんの心は知っていたのです。

仲良しの6体のお地蔵様を後にしたお爺さん。
雪に震えながらも、きっと心は温かくなっていた筈です。

もしかしたら、お爺さんは仲間ハズレにされた事があって、その心の痛みを知っていたのかも知れません。

最後のお地蔵様が、その時の自分の様に見えて、何とかして温めてあげたかったのかも知れません。

そして家で待っているお婆さんも、お爺さんの優しさの陰に、沢山の悲しい経験があった事を知っていたのでしょう。

2人は貧しくても、互いに最高の理解者として支え合い、力強い存在として描かれています。

物理面だけを観ると、お爺さんは「骨折り損のくたびれ儲け」でしかありません。

でも、二人の心はとても清々しいのです。誇らしいのです。


最後に、ドスン、ドスン!「お爺さんの家は何処だ〜」とお地蔵様達からご褒美が与えられます。

このくだりは、流石に子供向けの説法童話として、巧く描かれているなぁ、と感心します。

あのままでは、報われないじゃん⁈ で終わってしまう所ですが、お爺さんとお婆さんにハッピーエンドが訪れます。

明るく着地させて、子供達を安心させているんですねぇ。

一見、犠牲を払った分、ご褒美が貰えるよ、ってお話に見えますが、現代の私達が抱える、仲間ハズレによる虐め問題や、さり気無く支え合う夫婦のあり方を教えてくれています。

つまり、昔も今も人々が抱える問題は、そんなに変わってないのかも…。

人の形をしたお地蔵様。
雨に濡れながら黙って耐える様に佇む姿は、私達に慈悲の心を問い掛けて来ます。

街中から消えてしまったから、私達の心も荒んでしまったのでしょうか?

道路は広がっても、私達の心は狭くなっている様です。


私には、お地蔵様の声が聞こえてきます。

心の「貧困さん、いらっしゃ〜い!」ってね。(^_−)−☆