結局、割安とは? | やがて綺麗な蝶になるために

結局、割安とは?

 途中で書くのが面倒になってしまって半年くらい話が進んでいない気がしたので、2008年突入を機会にとりあえず強引に話を完結させておこうと思います。(昔から見ている人以外には何のことか分からないかもしれませんが)


結局のところ、私が主張したいことを簡潔に言えば

「相対的な割安感というものは相当アテにならないし、皆が勝手なモノサシで計っている部分が多い。鵜呑みにするのは危険。」

ということになります。

今でもこのような考えに100%自分が納得している訳ではないですが、以前よりは遥かに強くこう思っています。


 株というのは基本的には紙ですから、切実な需要はそこにはありません。

すると

「年末だし、55,000円払ってでもOpus Oneを飲むか」

というような、ある種のプレミアムはそこには存在せず、その紙の価値を決めているものは多かれ少なかれ"価格"ということになります。これが理論的には会社の価値から大きく剥離していると困るので、多くの人が会社の時価を推定しようとします。

ところが、株券そのものの本質的な価値が無いこと(一般的に単なる個人株主はpartial ownerからは随分遠いところにいるという意味)、そして最終的にはどんなに頑張って多数決をしても企業の真の時価なんてものは決められないことから、価格は右往左往してしまいます。そして永遠に右往左往し続けるでしょう...。


個別銘柄投資をやる人は一度は

「株式市場は効率的か?非効率的か?」

という命題を深く考えたと思います。そして非効率的と思うからこそ分析をして個別銘柄投資をするのでしょう。

私も長いことこの命題を考え続けていますが、今現在の答えは

「強いて言うなら非効率的。なぜならば、ある情報を価格が織り込んでいるのかどうかは誰にも分からず、わずかばかりの信念すらも、多くの場合は群集心理によって揺らいでしまうから。よって、効率的には成り得ない。」

という感じになっています。

じゃあ、そのような理由で非効率的であると仮定したとして、そこに収益チャンスはあるのでしょうか?

多分、それがあるとすると、投資/投機など方法はなんであれ、以下の理由によるものではないかと私は考えています。

1)他人が知らない未来の情報を自分が知っている(=知識の優位性)

2)他人が苦しくて実行出来ないことを自分は実行できる(=行動力の優位性)

ここで自問自答してみます。

「果たして、自分がやっているバリュー投資なるものは、上記の1)か2)を満足しているのだろうか?」

残念ながら、答えは、"概ね、No"でした。

もちろん、この答えが"Yes"な人も世の中にはいると思います。例え帰納的思考によるものであったとしても、"Yes"と言える方は間違いなく賢明なる投資家であると思います。

ここで大切なことは、"Buffetがそうだから"ということではなくて、自分自身がどうなのか?を自分自身で冷静に考えることです。



 個別銘柄投資をやる人の多くは、何らかの形でバリューファクターというものを考えるし、"割安"という響きにとても敏感になるだろうと思います。

しかし、この"relative"の比較対象物は人によってマチマチですし、またそれが本当に確固たる株式売買収益のエッジになっているのかどうかはかなり眉唾です。

 バリュー投資は一見したところ倫理的で美しく見えるものです(この美しさが厄介...だから簡単に止められない)。が、我々が金のために株式投資をやっているのだとしたら、いまいちど冷静になって、自分の考えに上記1)や2)のようなエッジがあるのかどうかを考えてみるのがよいだろうと思います。


それでは、2008年も頑張っていきましょう。


「知るものは言わず、言うものは知らず」 by老子