遊興 | 文芸部

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「んーっ、朝日が眩しいですね。さて、まずどこ行きましょっか?」

 

 

駅を出た俺と吉川さんは、街へ向かって歩き出す。俺はひとまず会社に行かずに済む解放感と安堵感を味わいつつも、やはり不安が消えなかった。思えば、学生はずるいよな…そんなことも思ってしまう。学生は別に一日ぐらい学校をサボってもそのあと普通に学校に行くことはできる。しかし社会人は違う。最悪クビも覚悟しなければならないし、そうでなくてもサボったぶん、懲罰的に無理なノルマを課されるといったことが考えられる。そうやって追い込んでいって、自主退職に追い込むなんてのもザラだ。それを思うと、明日からどんな地獄が待ってるのかと考えてしまう。目の前で呑気に構えていられる学生が正直羨ましい。

 

 

「櫻井さん?」

 

 

「…ああ、すみません。えーと、どこ行きましょうかね」

 

 

「とりあえずゲーセンでも行きます?そのあとどっかでお昼食べて、映画でも見にいきましょうよ。あと、図書館にも付き合ってもらえますか?ちょっと自習したいので」

 

 

…まぁ、余計なことは考えても仕方ないか。明日からのことを心配しても何も解決しない。今日はとにかく会社のことは忘れて遊ぼう。この良く知らない学生に付き合うと決めたのだから。そう決意して俺は彼女についていった。

 

 

 

駅から少し歩いて我々は件のゲームセンターにたどり着く。学生はよく来る場所かもしれないが、俺は何年も全く立ち入らない場所だった。ゲーム自体は嫌いではない。しかし大人になるとこういうところに来る機会はほぼなくなるといっていいだろう。いい年してゲームセンターに遊びに行こうなんていう同世代も、社会に出る頃になると皆無になってくる。だからゲームセンターなんていうのは学生の遊び場。大人がそんな場所にいるのは場違いだ、と始めは思っていた。

 

 

 

だが、実際何年かぶりに遊んでみると悪い気はしなかった。UFOキャッチャーにレーシングゲーム、画面に銃を撃つシューティングゲーム、オンラインクイズゲームなど、吉川さんと談笑しながらいろいろなゲームを遊ぶのは楽しかった。こんなの一人でやってたらすぐに飽きるだろうが、誰かと協力しながらだと数倍楽しい。まだ一時間ぐらいかな、と思って時計を見たらもう正午を回っていたほどに。

 

 

「櫻井さん、そろそろお昼食べにいきません?」

 

 

ゲームが一区切りついたところで、吉川さんに声をかけられる。きっと若いしお腹すいてるだろうなと思った俺は、ええ行きましょうと言って一緒に店を出た。

 

 

 

立ち寄ったのは少し歩いたところにある、国道沿いの何の変哲もないファミレスだった。そんなに高級な店ではないが、近いしまぁここでいいかと思い店内へ。幸いにも待たずに座れる席も見つかった。

 

 

 

ありふれたメニューの中から無難かなと思える料理を注文し、先ほどのゲームセンターでのことをいろいろ話しているうちに料理がきて、二人で食べ始める。食べている最中も、吉川さんはいろんなことを話してくれた。学校のこと、友達のこと、講義のこと、サークルのこと、趣味のこと、昨日見たテレビのこと、など。正直言って俺は自分のことを語るのが得意じゃないし好きでもないので、ほぼ吉川さんの話すことを聞く側に回るだけだったが、それでも誰かと話しながら食事すると、ありふれた料理も何倍にも美味しく感じた。普段は全然ファミレスなんて来ないが、きっと一人でこんなところに来て食事しても美味しくもなんともなかっただろう。彼女と一緒にいるのが純粋に楽しいと思い始めていた。

 

 

食事のあとは二人で映画館に行った。見た映画は最近公開されたSFものだったが、内容自体にはこれといった感想はなかった。ただ吉川さんの隣の席で同じ映画を見ているという事実だけで充実した満足の行く時間を過ごせたと思う。映画館を出たら次は彼女の希望通り図書館に向かった。運よくすいていた自習室に入り、彼女は持ってきていたテキストを開いて自習。俺は棚から適当な日本史の資料集を持ってきて読んでいた。図書館なので静かにしなければならないが、俺たち以外には人もあまりいなかったので、ここでも小声でおしゃべりを楽しみながら自習に励んだ。思えばこの図書館、学生の頃は俺もよく足をはこんだなぁと懐かしく思いながら感慨に浸っていた。

 

 

自習を終えて俺は持ってきていた本を棚に戻し、図書館を出るともうすっかり空は赤く染まっていた。なんだかあっという間の一日だった。いままでこれほど一日が短く感じたことがないほど一瞬で時間が過ぎてしまった。

 

 

「もうこんな時間ですか、早いですねぇ」

 

 

 

「そうですね、もう一日も終わりですか…」

 

 

 

俺は少し残念に思った。楽しい時間がもう終わってしまうなんて、名残惜しい。

 

 

 

「櫻井さん、今日はお付き合いいただいてありがとうございました。とっても楽しかったです」

 

 

「い、いえこちらこそ」

 

 

「すみません、帰りが遅くなるといけないので私はこれで失礼しますね。ではまた」

 

 

最後に何か言おうと思う間もなく、吉川さんは手を振って去っていった。俺はその姿をただ黙って見送るしかなかった。やがて彼女の後ろ姿が見えなくなる頃、帰るか…と心の中でつぶやいて俺は家路についた。どういう道順で家に帰ってきたのか全く覚えていない。まるで夢の中にいるように意識が朦朧として、その日は夕食もとらずに冷蔵庫のビールを一杯だけ飲んで、風呂にも入らずそのまま床についた。

 

 

 

その翌日から、俺は会社に行かなかった。