【列伝-22】われ太平洋の橋とならん | 列伝~人類の歴史を彩る儚い軌跡~

列伝~人類の歴史を彩る儚い軌跡~

様々な理由から歴史に名を残した人物を、主観を交えながらご紹介します。簡単な紹介程度ですので、詳しく知りたい方はご自分でお調べ下さい。
歴史に興味を抱くことは、人間に興味を抱くことと同意語である。

新渡戸 稲造(1862~1933)/日本

武士道を通して日本の心を世界に広めた国際人。
旧五千円札の肖像で有名な新渡戸は、1862年に盛岡市に生まれ、
札幌農学校から東京帝大へ進学、そのご帝大在学中にアメリカの
ジョン・ホプキンズ大学に留学する。
新渡戸は帝大に入学する際、面接官に語った言葉はあまりにも有名です。

「先生、私は太平洋の橋になりたいのです。」

当時、アジアは欧米諸国から野蛮で低俗な文化の地域。
など誤解と偏見で語られていました。

新渡戸は東洋にも、西洋に負けない素晴らしい精神が
存在することを伝えるべく、
著作「武士道(BUSHIDO)」を発表。

武士道を桜に例えたこの著作は全世界でベストセラーを記録。

そして、当の日本人にも日本の素晴らしい精神性を再認識させる切っ掛けを作りました。

義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義
の精神から成る武士道は国・人種・世代を超え、様々な人々に
日本人を認知させ、また興味を抱かせた名著といえます。

1919年には日本代表として国際連盟事務次長に推薦され、
7年の任期を終えて辞任するときは、
「国際連盟の輝く星」とまで賞賛される。

太平洋戦争の際には、日米両国の戦争を回避するために奔走するが、
新渡戸の真意は理解されることなく、両国から誹謗中傷を受ける結果になった。

人々から誤解され、中傷されても、「太平洋の橋」となることに
生涯を投じた新渡戸稲造は

「橋は決して一人では架けられない。
何世代にも受け継がれてはじめて架けられる」と
次代に後事を託し、71歳でこの世を去る。

はたして太平洋に橋は架かっていますでしょうか…

武士道