スバス・チャンドラ・ボースは、インドの独立活動家でインド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官などを務めました。

 

インドの人々は尊敬の念を込めてネタージ(指導者)と呼びます。

 

彼は、第2次世界大戦の後半、日本軍と協力してインパール作戦(1944年3月8日 - 7月3日)を実行し外部からインドに侵攻してインド独立のきっかけを作りました。

 

インドは1858年からイギリスの植民地となり、第2次世界大戦でイギリスが疲弊したのをきっかけとして1947年に独立しました。

 

インド独立の英雄として広く知られているのはマハトマ・ガンディーです。

インド独立当初はガンディーの功績が高く評価されインドの国会議事堂の中央大ホールにはガンディーの肖像画が飾られています。

 

また、初代首相のジャワハルラール・ネルーの肖像画も飾られています。

 

ネルーら国民会議派主流は大戦直後の1945年~1946年の独立運動高揚期にはボースと国民軍の業績を評価し、それへの民衆の感動をテコに利用しましたが、独立達成後はなるべくボースの功績を無視しようとしました。

 

それはボースの武力抵抗主義、革命主義が、ガンディーの非暴力の教えと基本的に相容れないところがあり、ボースが独立のための手段だったとはいえ、敗戦国日本と協力したと見なされた為です。

 

独立後のインドを主導したネルーは、10年以上ボースの話題を口にせず、ラジオでも極力報道しないよう指導していました。

 

確かに日本とボースが行ったインパール作戦は、無謀な作戦であり多くの犠牲者を生んだ悲劇的なものでした。

日本陸軍が当初の戦争戦略に入っていないインドに侵攻した事は、陸軍の暴走として捉えられても仕方の無いことです。

 

テレビなどではこのインパール作戦の悲惨さを毎年のようにドキュメンタリー番組として放送して軍国主義の危険さを、現代の人々に印象付けています。

 

これは事実であり否定出来るものではありません。

しかし、「インパール作戦の悲惨さ」という事実に隠された裏にこの作戦が実行されるに至った真実に光をあてているメディアは皆無といってもいいでしょう。

 

なぜインパール作戦が実行されたのか?

それが後生の人々にどのような影響を与えたのか?

 

これを知るにはチャンドラ・ボースの人生と生き様をしっかりと理解する必要があります。

 

テレビや学校の教科書で教えられる表面的な知識では理解出来ない深い真実が眠っている事を知るとインパール作戦に対する見方は180度変わってきます。

 

そこにはボースのインド独立にかける情熱と日本が大東亜戦争を起こした目的との親和性を見て取ることが出来ます。

 

インド独立におけるボースの貢献は現在では高く評価されています。

1978年には、インドの国会議事堂の中央大ホールにガンディー、ネルーらと並んでボースの肖像画も掲げられるようになりました。

 

イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは、インドの独立を、ガンジー・ネルーらの国民会議派による独立運動よりも、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍 (INA) が協同して、英国領インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされたとしています。

 

チャンドラ・ボースの人生と共に第2次世界大戦を見る事で、日本とインドの繋がり、そしてその架け橋となったボースの圧倒的な存在感を知る事が出来ます。

 

現代社会に生きる我々にとって、この隠された真実を知る事は有益であり事実だけでは本当の事はわからないという人生の奥深さを感じとる事が出来るのではないかと思います。

 

 

※参考文献