日本統治時代のパラオは空前の経済的繁栄をしていました。
それまでほぼ自給自足の生活をしていて貨幣経済すら何も知らないパラオの人達にとって、これほどの経済発展は感謝してもしきれなかったと思います。
また、現地ではできる限り日本人の移民と現地人を平等に扱うように教育されていました。
なのでパラオでは現地人と日本人で大きな争い事などは起こらず比較的仲良く暮らしていたわけです。
しかしこうした幸せな暮らしは長く続きませんでした。
1941年に第2次世界大戦が勃発して戦争の火の手はパラオにも近づいてきました。
戦争が始まり政府の態度も変わり始めます。
パラオ人も軍の教育を受けて軍隊の為に青年団も軍隊式のトレーニングを受けるようになりました。
戦争が始まったら日本から兵隊がどんどん入ってきて増えていきました。
現地の人達も荷物を下ろす作業など軍の仕事をさせられました。
しかしそれは兵隊としてではなく軍属のような扱いでした。
日本軍は住民を工事には駆り出したものの、戦闘に巻き込むことは避けようとしていたようです。
戦火がパラオに近づくと現地住民は比較的安全なバベルダオブ島に疎開させられました。
日本移民は、婦女子は日本に帰らせましたが、男子は戦闘員として召集されました。
パラオに近いサイパン島の戦闘では、多くの島民も在留邦人も民間人も命を落としました。
パラオでは何としてもそれを避けなければならないと軍は考えました。
そこで現地住民は疎開させ、婦女子は日本に帰国させたわけです。
しかし、日本人の男子はアンガウル島に残って戦うように命令されました。
戦争が近くなった頃、青年団は戦争の準備のために兵隊のような訓練をしていました。
切り込み隊と呼ばれて、日本人の青年団もパラオ人の青年団も同じような訓練を受けました。
しかし、日本人の青年団の人は召集されて兵隊としてペリリュー島に送られました。
ほとんどの日本人は、その戦いで死んだのです。
パラオ人は訓練を受けたけど、戦場へ送られた者は1人もいませんでした。
なかには志願して残って戦闘に参加した者は数人いたようです。
そしてついに1944年9月6日、ペリリュー島にアメリカ軍による空襲が始まりました。
その後上陸してペリリュー島は激戦地となりました。
日本軍はあらかじめ立てていた戦略どおり洞窟に身を潜めていました。
アメリカ軍は戦車を前面に立てて徐々に内陸部に侵入してきましたが、中部山岳地帯の日本軍はその攻撃に耐え、敵を撃退し続けました。
しかし、9月末には山岳地帯の一部を除く全域がアメリカ軍の手に落ちました。
そしてこの後も戦闘が2ヶ月続きました。
アメリカ軍による攻撃はすさまじく日本兵も必死に抵抗しましたが、11月頃にほぼ壊滅状態となりました。
残った日本兵は洞窟内で自決したか、最後の突撃を掛けて戦死しました。
日本兵の戦死者は約1万名。
戦闘に参加した日本兵のほとんどは戦死しました。
アンガウル島でも同様でした。
1944年9月、アメリカ軍が上陸し日本軍の18倍もの大軍で艦砲射撃を浴びせかけました。
日本軍は地の利を活かして洞窟などに身を潜めて抵抗を試みました。
しかし、10月に入ると食料や飲料水が不足していきました。
島に残った島民たちは食料の搬送などで日本軍に協力していましたが、アメリカ軍の投降勧告に従い、投降する島民が続出しました。
アメリカ軍は火炎放射器や手榴弾で洞窟を一つずつ潰し始めたのでこのままでは危ないと思った日本兵は、全員結集して敵中突破をはかりました。
しかし多くは戦死してしまいました。
戦死者は約千名です。
パラオでの戦闘では、パラオ人はみんな疎開させられていたので助かりました。
もしこの戦いにパラオ人も参加させられていたら、ほとんどが戦死していたので、現在パラオ人はいなかったかもしれません。
戦後はパラオはアメリカが統治して、日本人は皆パラオから引き揚げさせられたので、パラオは無人島のようになっていたかもしれません。
戦後、生き残った日本移民たちが引き揚げてしまうと、賑やかだったパラオの町も廃墟と化しました。
戦前30年もの間、多くの日本移民が住み、日本人で栄えた町だとは、想像もつかないほどでした。
それどころか、そんな時代があったことすら封印されているかのようでした。
しかしパラオ人の多くは生き残ったので、現在でも日本統治時代のパラオを知る人達の話しを聞くことが出来ます。
実際に日本統治時代はどうだったのか?
現地住民の日本人への感情はどうだったのか?
これを知るには実際にその時代を生きた人達の生の声を聞くことが1番よいのです。
戦前の日本統治の真実の姿を知るためにパラオの歴史は大変興味深く感じます。
現在でも親日的なパラオ人が多い理由、何故パラオの国旗が日本の国旗に似ているのか?
一度現地を訪問して実際のパラオを見てみる事をお勧めします。
そして現地の人達の話しを聞いてみると今まで知らなかった本当の事がわかるような気がします。
※参考文献