パラオ共和国という国をご存知でしょうか?

 

フィリピンの東に位置する小さな島国で、主に4つの島(バベルダオブ島・コロール島・ペリリュー島・アンガウル島)からなる国です。

 

 

パラオ共和国は1994年に正式に独立しました。

現代になってからは、スペイン、ドイツ、日本、アメリカと統治国が変わっていき正式な独立国としてはそれまで認められていませんでした。

 

ようやく1994年になって独立する事が出来たのですが、パラオの国旗は日本の国旗に大変よく似ています。

 

パラオ共和国の国旗

 

なぜ似ているのかについて気になったのでとりあえずWikipediaで調べてみました。

すると、国旗発案者のコメントが記載されていました。

 

”パラオの国旗の発案者”

「私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない」

 

と否定的に述べているようです。

 

パラオ政府も公式には日本の国旗との関係について特別なものはないとの立場のようです。

 

しかし、調べて見るとパラオと日本は国旗以上に歴史的に深い結びつきがあった事がわかりました。

そして最も重要な事はパラオの人達(人口2万人程)はとても日本人に感謝している、という事実です。

 

パラオの統治国は19世紀からスペイン、ドイツ、日本、アメリカと変わっているのですが、ほとんどの人達が

「日本時代が1番よかった」

と思っているそうです。

 

何がよかったのかというと、日本の統治政策がパラオの近代化に大きく貢献して、パラオの人達が近代的な生活をする事ができた点にあるのです。

 

日本の統治政策は主に同化政策でした。

言語、習慣、社会秩序といった日本的文化を教育によって教え込み、現地住民を日本に同化させようとしたわけです。

 

特に日本語教育に重点をおいていました。

 

そして日本本土からきた人たちと日本語で話すことで日本の文化に触れ「自分たちの国も日本なのだ」と思えるようにしていました。

 

もちろんこの同化政策にも問題点はあります。

自国の長い歴史や文化を崩壊させることにもなるので、抵抗は避けられない面はあります。

 

しかし、日本政府は圧政でも独立を促すのでもない、同化政策が人種的反感を防止できる最良の方法と判断していました。

 

日本の統治は1914年から終戦までの1945年の約30年ほど行われていたのですが、この頃、現地を訪れた他国の人々からは、日本の海軍の現地の人たちに対する心暖かい扱い方や日本の統治は品格のあるものとして高く評価されていました。

 

当時の出版物には、

「日本の役人、教師、医者、科学者といった専門家たちは新しい日本の国を作ろうと努力している」

など好意的に描かれ、

「現地住民も日本人に統治されてなんと幸運なことだろうか」

と紹介されていました。

 

現地住民の為に作った公学校の先生は優秀な人が多く現地住民からもずいぶん尊敬されていました。

 

このような日本の同化政策によって日本本土からの移民も増えてパラオでは近代的な経済が発展していきました。

現地で取れる農作物を現地人や日本人が協力して生産して市場に出荷していました。

 

日本が高い文化と教育と経済的繁栄をもたらし、現地住民たちと仲良く暮らしていたわけです。

パラオの町には、日本から来た役人、貿易商などがたくさんいて現地の人達と様々な交流が行われていました。

 

このような日本統治時代を経験したほとんどの人は、日本が戦争に負けて、パラオから日本人が引き上げた後も、日本人の友達や先生たちとの交流が続き、お互い訪問しあったりしているのです。

 

戦後から60年以上経っても交流が続けられているのは、現地の人達だけでなく日本人も日本統治時代がなつかしく、楽しかった思い出となっているからではないでしょうか。

 

 

※参考文献