1934年頃、ウォール街でクーデター未遂事件というものがありました。

国民に絶大な人気のあったバトラーを担いでルーズベルト政権を倒して軍事独裁政権を樹立しようという計画です。

 

当時の大統領のフランクリン・ルーズベルトのニューデール政策はウォール街の巨大財閥には不評でした。

 

ニューディール政策は、失業者救済、農民への融資や農作物の価格維持、社会保障制度の樹立、労働保護法の制定など、端的にいうと弱者救済政策でした。

 

これ自体は悪い政策ではないのですが、ニューディール政策は「均衡財政」を柱としていました。

つまり政府支出を社会的弱者への救済に振り向ける分、その財源を確保しなければなりません。

 

つまり増税です。

富裕層に増税して財源を確保していたのです。

 

また、均衡財政を基本としている以上、経済成長は見込めません。

 

下記、ブログ記事参照

金融緩和してもインフレにならない!! | 時間が無い人でもサクッとわかる現代社会の仕組み (ameblo.jp)

 

 

実際にアメリカの1930年代のGDPと失業率は以下になります。

 

      実質国内総生産 (GDP:単位:10億ドル)  失業率(%)

1929年        101.4                                  3.1

1931年        84.3                                16.1

1933年      68.3                                25.2

1937年          103.9                                  13.8

1938年          103.7                                  16.5

1940年        113.0                                  13.9
 

GDPはほぼ横ばい、失業率は一向に改善の兆しの見えない状況なのがわかります。

よくニューディール政策によってアメリカは世界大恐慌から脱したといわれますが、それは事実と異なります。

 

1930年代はほとんど経済成長しておらず、失業率は高いままだったのです。

アメリカ経済が上向き始めたのは1937年頃から軍事予算を計上し始めてからです。

 

ドイツや日本・イタリアなどの脅威をあおり軍備増強の必要性を説いて軍事予算をこの頃から増やしていったのです。

そして本格的に景気回復するのは第2次世界大戦にアメリカが参戦してからです。

 

まさにバトラーの主張するように、「戦争は商売」を利用して大恐慌から脱したのです。

 

 

少し話しが横道にそれましたが、つまりルーズベルトの経済政策は富裕層にとってあまり歓迎されていなかったわけです。

 

そこでウォール街の巨大財閥を中心にルーズベルト政権打倒の気運が出てきました。

彼らは「海兵隊の勇士」であるバトラーに近づいてきました。

 

バトラーをリーダーにしたら、容易に兵隊が集まるだろう、と踏んだのです。

 

計画によれば、バトラーが大統領と会って、小児麻痺にかかっていた大統領に病状が悪化したという理由でバトラーを「総務長官」という名称の代理に指名させ、彼がウォール街の意に従って行政を指揮する。

 

もしルーズベルトが拒否すれば在郷軍人会から集めた50万の軍隊をバトラーが首都ワシントンに集結させ、大統領に圧力をかけて退陣させる、という筋書きでした。

 

武器や資金はウォール街の巨大財閥が用意することになっていました。

 

しかし、計画は頓挫しました。バトラーが米国の連邦下院の非米活動委員会で、この謀略を暴露したのです。

聡明なバトラーは、ウォール街の資本家の本性を見抜いていました。
 
さんざん今までかれらのために戦場で戦ってきたバトラーは、一連の計画によって再び、かれらに利用されると考えたからです。
 
このバトラーが謀略を暴露している演説の動画は、YouTubeなどで簡単に見ることができます。
 
非米活動委員会はバトラーの告発を受けて調査をしましたが、首謀者たちにはたいしたお咎めは、なしで終結しました。
一連の出来事は、結局、年老いたバトラーが首謀者たちの話しを曲解したために起こった「作り話」ということにされたのです。
 
そのうちヨーロッパ情勢の雲行きがあやしくなり、第2次世界大戦が始まると、この謀略は歴史の闇に消えていきました。
 
当時の事件は「New York Times」紙で
"Gen.Butler Bares Fascist Plot" (バトラー将軍がファシストの陰謀を暴露)
という見出しで報じられています。
 
 

 

 

 

この謀略はメディアにもリークされたが、ウォール街の支配はメディアにも及んでいて、「そんなウソみたいな話」というウォール街のコメントを紹介しただけで、それ以上は追求されませんでした。

 

バトラーはこの謀略をラジオで語ったが、大した反応はなく、国民が詳細を知ることもなかったようです。

 

しかしバトラーの話しがウソでなかったことは、1967年に、あるジャーナリストが非米活動委員会の内部秘密報告書を発見したことにより立証されました。

 

この報告書は以下のように述べていたのです。

 

「委員会は、閉会に迫ったころ、一部の人々がこの国にファシスト組織を設立しようとした証拠を入手した。このような試みが議論され、計画され、もしも資金後援者たちが好都合と思えば実行されたかも知れないというのは、疑いようがない。委員会は組織創設に関する直接的な主張を除いてバトラー将軍の関連発言をすべて立証することができた。」

 

 

※参考文献