フーバー回顧録の一節です。

 

「日本の支配による35年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した。日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。港湾施設、鉄道、通信施設、そして民家も改良された。衛生状況もよくなり、農業もよりよい耕作方法が導入された。北部朝鮮には大型の肥料工場が建設され、その結果、人々の食糧事情はそれなりのレベルに到達した。日本は禿げ山に植林した。教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった。朝鮮人は、日本人に比較すれば、管理能力や経営の能力は劣っていた。このことが理由か、あるいはもっと別な理由があったのか確かではないが、経済や政治の上級ポストは日本人が占めた。1948年、ようやく自治政府ができた。しかし朝鮮人はその準備がほとんどできていなかった。」

 

当時の朝鮮半島に関する国際的な常識が、アメリカ元大統領の証言からよくわかります。

 

そして、日本の満州政策もこの延長線にあったと考えられます。

 

当時1920年代の中華民国は多くの軍閥が乱立して群雄割拠のような様相を呈していました。

 

治安も悪く、犯罪や紛争が多発していました。

 

中国大陸全体が無政府状態のようになっていました。

 

今のリビアやちょっと前のシリアのような状態をイメージするとわかりやすいと思います。

 

 

日露戦争の勝利によって日本は南満州鉄道の権益を手に入れ、満州地域の近代化に力を入れました。

 

もともと満州の治安は悪く農民が安心して農業が出来る環境ではありませんでした。

統一した紙幣もなく経済的に中国の他の地域からかなり遅れていました。

 

つまり満州は不毛の地だったのです。

 

だから、まず日本政府は荒野を開墾して農地を開拓していかなければいけませんでした。

 

そして産業を発展させてインフラを整えて人々の生活水準を上げる事が重要でした。

 

学校、道路、工場などを建設して人々の生活の改善に努めました。

 

つまり、朝鮮半島にしていた政策と同じ事を満州地域でも行っていたのです。

 

学校の教科書では

 

「戦前の陸軍は残虐で沢山中国人を殺した。それによって国際的に孤立してアメリカに無謀な戦争を仕掛けて敗北した。」

 

というような、いわゆる日本悪玉史観を教えられます。

 

しかし実際は違うのです。

 

欧米列強が、もともと肥沃な地域を植民地支配して、現地の人達から搾取して利益を蝕んでいたようなものとは根本的に異なっています。

 

満州にしても、朝鮮半島にしても、産業的に世界の列強がそれほど重要視していない地域だったのです。

 

今でいえばアフガニスタンのような地域と言えるかもしれません。

 

忘れられた大地に日本が進出して地域の近代化に努めていたのです。

 

 

その証拠に満州事変があった1931年、各国の日本に対する反応は宥和的なものでした。

 

満州事変自体は日本陸軍の自作自演ですが、時のフーバーアメリカ大統領は、「満州国不承認」を表明しただけで、日本の満州での権益についてはその後も認めました。

 

その背景には、日本の満州での政策に一定の評価があったからです。

 

不毛の荒野であった満州の近代化に貢献していた日本統治が評価され、日本がこの地域を統治した方が、地域の安定化に貢献出来ると、アメリカ政府も判断したのです。

 

ただ、「満州国」という傀儡国家は認めない、と公式に表明しただけで、実際の権益は日本が持つべきだと大筋で認められました。

 

 

しかし1937年頃から、このアメリカの対日政策が突如変更され、強行外交となります。

 

なぜでしょうか?

 

この背景はヨーロッパでのヒトラーの台頭がまず上げられます。

 

やがて訪れるヒトラーとの戦いに備えて、この時期から日本を利用して参戦する為に強行外交に転じたのだと思います。

 

 

 

また、満州自体は日本による投資によって近代化してある程度豊かになりました。

当時群雄割拠で荒れていた中国本土から豊かさを求めて満州に人が集まるほどでした。

 

戦後の中華人民共和国の時代、満州には日本が作ったインフラが残っており共産主義体制下では比較的豊かな土地でした。

 

その日本統治の成功が反対に中華民国政府や背後から支援しているソビエト政府には脅威だったのかもしれません。

 

中国国民党と中国共産党が手を結び、日本を露骨に挑発してきます。

また、ソビエトも背後から支援して紛争を煽ります。

 

満州で日本陸軍と実際に抗戦していたのは中国国民党で、中国共産党は陝西省延安という所に隠れて日本軍と中国国民党軍が疲弊するのを待っていました。

 

 

よく考えたらおかしな話しです。

 

日本は満州の近代化に努め一定の成果を得たのに、それに対して露骨に挑発して紛争を煽るような行為が当たり前に行われていたのです。

 

様々な紛争の火種を巻いて、日本陸軍との紛争が泥沼化していきます。

 

当初、宥和的なアメリカもヨーロッパ戦線での事情から段々日本に強行外交を敷くようになります。

 

つまり、日本の満州での統治が悪かったからアメリカは、日本に強行外交を行ってきたわけではないのです。

 

 

中国国民党との紛争は間接的に中国共産党を敵に回します。

そして、中国共産党を背後から支援しているのが、ソビエトで、そのソビエトを作ったのが国際金融資本家です。

 

国際金融資本家はロンドンシティーやアメリカのウォール街を支配してイギリス・アメリカを動かしています。

 

日本はいつの間にか世界の支配者を敵にしていたのです。

 

日本の満州での善政が皮肉にも世界の支配者を敵に回すことになってしまったのです。

 

国際情勢が必ずしも善意で成り立っているわけでないことがこの一連の流れからわかると思います。

 

この時代の世界情勢で、善悪をはっきり分ける事は、ある意味不可能とさえ思えてきます。

 

 

さらに、驚くべき事に、日本政府内部にも、共産主義者や国際金融資本家の手先といわれる人物が暗躍していたのです。

 

共産主義者はモスクワに忠誠を誓い、ソビエトや中国共産党の利益になるように日本政府を誘導していきます。

 

また国際金融資本家の手先はロンドンシティーやアメリカのウォール街に忠誠を誓っています。

 

 

ソビエト、アメリカ両国から外交的に圧力をかけられ、そして日本政府内部にもそれぞれのスパイが暗躍している状況で、日本は徹底的な工作活動を受けます。

 

工作の主な目的は2つあります。

 

1つ目は、支那事変を泥沼化させて日本軍を疲弊させる事にあります。

満州はソビエトの防波堤と考えられていたので、この地域が安定化してしまっては、共産主義者には困るのです。

 

つねに紛争が起こっている事で、日本の影響力が中国共産党やソビエトに及ばないように出来ます。

 

2つ目は、アメリカが第二次世界大戦に参戦する為に日本政府を内部から揺さぶりかけて、日本に最初の一撃を撃たせる事です。

 

この最初の一撃を撃たせる事でアメリカ世論を変えさせて、裏口からの参戦を目論みます。

 

特に、日本軍から最初の一撃を撃たせる工作は徹底しています。

何重にも巡らされた工作から、日米開戦へのレールが敷かれていきます。

 

実際、時のルーズベルト政権には共産主義者のスパイが沢山いて日本との対立を煽る工作がなされていました。

 

つまり、日本を追いつめるという意味において、ソビエトを代表とする共産主義勢力と、アメリカを代表とする国際金融資本家勢力の利害が完全に一致していました。

 

この時期、アメリカは共産主義者の力を借りて日米戦争へ誘導していきます。

 

かれらは、こうやって情報戦によって、まず敵対国を弱体化させます。

 

当時の日本政府高官もある程度はかれらの動きを察知していました。

 

対抗する為に「秋丸機関」という戦争経済研究班を陸軍省内に立ち上げて対米英打開策を研究していました。

 

この秋丸機関というのはあまり知られてませんが、日本が英米と戦争しても勝利出来るシナリオを研究していて、実際にその作戦を作っていました。

 

しかし、この秋丸機関が作った戦争戦略も後日、共産主義者や国際金融資本家の手先に利用されてしまうのです。

 

 

フーバー回顧録の一節です。

 

「私はここで、対日交渉の場面で強い影響を及ぼしたのではないかと思われる、我が政権内に潜り込んでいた共産主義者の行動を問題にしたい。モスクワは、我が国と日本の間に和平がなってもらっては困ると思っていた。そうなってしまえば、蒋介石は日本との戦いから解放され華北に籠もる毛沢東の共産党政府を潰しにくることになるからである」

 

 

※参考文献