1929年にアメリカで始まった世界大恐慌は世界中に拡大していきました。

 

その影響はヨーロッパにまで波及します。

ようやく第一次世界大戦から復興出来そうになっていた矢先、再びヨーロッパを黒い影がおおいます。

 

当時のドイツも大恐慌の影響を受け経済は悪化していきます。

 

 

ドイツは第一次世界大戦の敗北によってワイマール憲法という、当時では最も民主的といわれる憲法を採用していました。

 

この憲法では20歳以上の男女全てに選挙権が与えられ、大統領と国会議員を直接選挙で選ぶ事ができました。

 

そして大統領に、行政の長である首相の任免権、国会解散権、憲法停止の非常大権を与え、大統領の権限が大幅に強化されました。

 

ここで重要なのは大統領に憲法停止権限を与えた事です。

これが後年ヒトラーに利用される事になります。

 

1933年1月にヒトラーは首相に任命された後、人権に関する重要な憲法の条文を停止させることを大統領にせまり、当時、絶大な支持を得ていたヒトラーの要求に当時の大統領であったヒンデンブルクは拒否する事が出来ませんでした。

 

ヒトラーとナチス党はこの憲法停止の大統領令を利用し、反対派政党議員の逮捕や他党への脅迫材料としました。

 

そして1933年3月に『全権委任法』を制定させて独裁体制を築いていく事に成功します。

つまり民主的な憲法といわれたワイマール憲法でも、このように形骸化されてしまったのです。

 

現在の主要な先進国の憲法には、このような憲法停止の非常大権のようなものはありません。

どんなに権力をもった大統領や国王でも憲法を勝手に停止させる事は出来ないようになっています。

 

 

話しを1929年頃に戻すと、

 

世界大恐慌の影響でドイツ経済は大きく悪化していきました。

ここで躍進していくのがナチス党です。

 

実は1928年までは、それほどナチス党は支持されていた訳ではありませんでした。

それまでの好景気の影響でナチス党の活動は停滞し、資金難で党大会や集会が中止される事もありました。

 

1928年5月の国政選挙のナチス党の得票率は全体の2.6%にすぎなかったのです。

しかし、大恐慌によって職を失い経済的に困窮した人達が増えて、多くの人達はナチスの極右思想に救いを求めました。

 

その後の国政選挙のナチス党の得票率は

 

1930年9月   得票率18.3%

1932年7月   得票率37.3%

1932年11月  得票率33.1%

1933年3月   得票率43.9%

1933年11月  得票率92.2%

 

という選挙結果になります。

1932年7月以降の選挙ではナチス党がつねに第一党になります。

 

1929年を境に大きく情勢が変わりました。

貧困が過激思想に走りやすい、最もわかりやすい実例です。

 

何度選挙をしてもナチス党が躍進するのですが、当時の大統領のヒンデンブルクはヒトラーを嫌っていました。

 

首相の任命権は大統領にあります。

 

ナチス党が第一党になってもヒンデンブルクはヒトラーを首相にするのを拒否しました。

 

なので選挙で勝ってもヒトラーはなかなか首相になることが出来ませんでした。

 

しかし、1932年11月の選挙でナチス党が勝利した後、1933年1月30日、ヒンデンブルクはついにヒトラーを首相に任命しました。

 

 

ヒトラーが政権を取ってからは、前に書いたとおり、人権に関する重要な条文を停止させ、全権委任法を成立させます。

 

そして、ドイツ国内での独裁体制を確立して、領土拡張政策へと舵を切り出します。

1939年にドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発しました。

 

 

このように見ていくと、よくドイツ人はナチスを支持したと言われますが、実際には経済が調子よかった時はそれほど支持されていなかった事がわかります。

 

人々は生活に余裕があれば冷静に判断する事が出来るのかもしれません。

しかし、大恐慌の影響で、職を失い、貧困になると人は誰かの責にしたくなります。

 

そこでナチス党が徹底的なプロパガンダとして、反ユダヤ主義、反共産主義を利用して党勢拡大に努めました。

 

人間心理をうまく利用した方法で自らを正当化していきます。

人々は生活に困窮した時は極端な思想の方が受け入れやすいのです。

 

もちろん貧困で困っているからといって極端な思想が正当化されるわけではありません。

 

しかし、歴史をひもといていくと全て1つに繋がっている事がわかります。

つまり、各国の中央銀行の間違った金融政策からアメリカで大恐慌が始まり、そして、その大恐慌が世界中に広まりました。

 

その影響で生活に困窮する人達が増加しました。

人々は過激思想に救いを求めました。

 

その結果ヒトラーが権力を持ち、第二次世界大戦が引き起こされたのです。

 

そして、その後の歴史を見ると、これは日本にもとても大きな影響を与えます。

もともと、第二次世界大戦はヨーロッパで始まった戦争なのに、日本が巻き込まれていくのです。

 

これは、その後の日本の社会にも大きな禍根を残す事になります。

 

 

※参考文献