身近な社会の出来事::Grazieおじさんのブログ

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なが〜・・い永い道のりを、何かにしがみついてここまで来ました。
   移りゆく身近な出来事を、かすれた声で綴る独り言・・・です。
                    //あの世にゆく前に・・・・?。

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昨今は生きる権利ばかりに光が当っているような気がしてならないと思っている。

そのことが現役を退職してから強く思えるようになった。

緊張しストレスを抱え込んでの現役時代、退職後T市に帰って、生活の足しに思いアルバイトを始め、無理がたたって到々ダウン、肺がんと診断され緊急入院、ぶざまな姿を病院の中で見ていると70年の人生の一つひとつ思い出すことが不思議でならない。しかも子供時代、青春時代、勤労時代、そして老年期へと順番に繰り返し巡ってくる。

 

退職定年後は行きたかった旅行、趣味を生かした生活、のんびりとした暮らし、夢にまで老後がだんだんと遠くなっていく、・・・・。

 

だが、待てよ

まわりのベッドの高齢者患者さんのお話を毎日聞いていると、これらもいずれ飽きがくる、自分にはそう思えてくるようになった。

 

我々集団就職時代、良く云われる右肩上がりの高度成長期にガムシャラに働いてきた私達には、手足を動かし体を動かし、僅かな所得の税でも負担するあった喜びがこの年齢になってようやく分かったようである。

 

誰しも健康で長生きしたい気持ちは分かるだが、今の世の中それが継続できるだろうか?

 

逆ピラミットに成ってしまった人口構成、都会ではピンと来ないだろうが、地方で10年暮らしてみると肌で感じる、何処へ云っても、何をしても爺さん婆さんばかり。

 

国をはじめ地方自治体は、借金だらけ、やりたい放題の報道、見つかったらゴメナサイで誰も責任を取らない商人国家になってしまった。責任が後から付いてくる個人主義、教育の失敗を含めてこれらの多くは、我々の年代が良かれと思って権利ばかり主張し放置して来た結果である。

 

病床に座って、医師、看護師、介護士、患者の悲痛な叫び、お見舞いに来る人達の会話を聞いていると今日の医療行政と実状が良く分かる。

 

生死の分かれ道に立つと「死ぬ権利も認めてもらいたい」つくづく思う、「生きる権利」と同等に「死ぬ権利」もあることに気付く。

 

少子高齢化時代

誰しも健康で長生きしたい気持ちは分かるだが、今の世の中それがこれからも継続できるだろうか?

出来ないと思う、

 

社会保障費を財源に消費税を上げる、その前に逆ピラミットになった人口構成を国民的議論にすること、高齢者が働ける雇用、そして僅かな所得税でも払える環境を構築する、権利主張を同等してもらいたい、  このように思うのは私だけだろうか?

 

ではまた。