こう1人で居る時間が長くなると又、例の考えを深めようかなと思う。
子供を作ろうかな(付随的に結婚しようかな)というアレだ。
何となくの不安感と、少しの余裕と、大いなる現実逃避の為せるわざ。
勿論、自分の子供という存在にハンディを負った人生を味合わせたくないので、子供は作るまいと戒めてはいるから、
これは只の夢想。
硲の子供は十中八九、というより九分九厘アレルギー持ちだ。高齢出産で障害がどうちゃらなんて可能性をぶっちぎって決定打。これは十年前に夫婦ともピチピチな状態で子供が生まれてようと同じこと。
そんなの他人、特に大事であろう自分の子供に背負わせられるか。
多分口に出して言ったら、善良な人々はそれこそ案ずるより産むが易しなんて主旨の言葉を並べてくれるだろう。
実際世の中にはそれで問題なく過ごせてる親子も居るだろう。
しかしこれは譲れん。
誰が育てるんだという硲の問題でなく(逆にそこはあまり心配していない)、誰が生きていくんだという子供の問題。
お金に不自由せず、環境に恵まれて、人にも恵まれて、運も良くて、傍若無人なほどセラミック製な神経持ちで、
そーゆー要素をもってしても対抗できないことがある。
親のエゴで産まないで子供の可能性を潰すな、なんて外野からヤジが飛ぼうが、非実在人物についてアホなキャラ付けした青写真を描かれようが、ここは逃げの一手。
それなりに楽しいことも嬉しいことも沢山有ったし、出来る範囲のことはやったけど、
だからって15~30歳の間の人生もう1回やりますかって言われたらノーサンキュー。どちらかというと、めっちゃ恨みのある奴が居たらそっくり辿らせてみたいぐらいだ。
自己中だから世の真っ当な親御さんのような存在には成れないし、その覚悟もない。
そして多分、この欲は自分にとっては
記憶媒体的な意味で、英才教育の実験をしたいだけなんだよなぁ。
ってところで、
大体いつも妄想タイムは終わる。