ねむい説2 ではないか | 猫の島調査報告書

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月夜にささやかな酒宴 ことのは積み上げ十年目

自分は想像力豊かな方ではないから、なるべく多く読む。
知らないことを減らして、予測を立てやすくする。
ちゃんとした推論はからっきしたが、直感的なものは大体予想の範囲内に納まって、そうやって生きてきた。

外つ国の貧民街の映像を見て、ショックを受けて泣く小学生じゃなかったのは確か。貧困を知識として知っていて何が起きるかを想像しておりそれが画面上と一致したこと、自分がここに生まれて画面の中の少女がそこに生きているのはただの運だと割り切っていたこと、それだけだが。ドライとか傲慢とか言われる。

真剣じゃないともよく言われるが、じゃあこれ以上の何を提供したら納得するのだろう。額に汗すればいいのか? 結果も伴わない苦労話なんて彼我の時間の無駄だろう。涙なんて視界不良で初動を遅らすだけだ。映画の中の作り物の涙は美しいが、対価の発生しない美しさは、つまり腹の足しにならない。

想像力はないから、クリエイティブな生業には就くまいと切ったのもその頃。(当時はクリエイティブなんて単語は一般人は使っていなかったが、まぁそんな意味のこと)
その代わり、精度の高い消費者になろうと決めた。物事の正当な価値を知り、納得したものだけに自分の判断に忠実にカネを払って手に入れる。そういうものにわたしはなりたい、と。

作り出す立場でない故に、作り出すものを確保する必要がある。
確保するには、作り出すものが大過なく生きていないとならない。単純な話として考えた。


正直言って、
自分の好きなものが他人にどう思われようと、そんなことは知ったこっちゃない。
但し現実問題として、需要がなければ恒常的な供給は見込みがたく、だからこそ好きなものに人気があって売れ続けていて欲しいと願うわけだ。
例えばライブも、自分が見に行った回だけ上出来ならいい。ただ、その他の回でポシャったらその時の客が離れる可能性が高いため、だからツアー通して最高のパフォーマンスであれと思う。

多分どんなに好きでも、真の意味でファンには成れない。
何事においても対象を萌え製造機扱いしかしていないのだと思う。