談古嶺前を通った小学生の持つ大判の本。ひょいと目についた背表紙には、日本の植物とかいった題名が記されている。子供のころの自分は鉱物やら動物には興味があったが、植物にはあまり気を惹かれずに来てしまったなぁと思う。導管がどうの、地下茎がとか大雑把な知識だけで、隣に生える樹の名も知らぬ。自分には『保留』にしていることが多々有って、それらとは別に自覚無き怠惰に拠る保留事項が日々ボロボロと見つかるのだが、例えば100万回生きたころには満足できているものだろうか。それが諦めじゃないといい。