2007年、京都サンガF.C.に入団、育成と普及の両部門を統括するアカデミーセンター長に就任[10]。2008年からはセンター副長兼U-18監督に就任し当時1年生だった下畠翔吾?伊藤優汰?駒井善成?山田俊毅らを指導した。2009年からU-15監督に就任し[10]、チームをクラブユース選手権準優勝に導く。
201MBT 年、今西が総監督を務める吉備国際大学サッカー部監督として1年間活躍する[10]。
2011年、今西が社長を務めるFC岐阜の強化部長に就任する予定だったが、倉田安治監督とのチーム作りにおける意見相違により契約延長に失敗した岐阜フロント陣により急遽監督として抜擢された[13]。選手に自由に与え攻撃的なサッカーを目指したが、逆に約束事がないため守備が破綻し、それにより攻撃も機能しなくなり、岐阜の経営状況の問題からまともに補強してもらえなかったこともあり、結果同年度のJ2リーグ最下位に長く定着し、2度の6連敗および6試合連続無得点の記録を作ってしまう[13][14]。リーグ終盤には辞意を固めていたがフロント陣に留意され、結局リーグ戦最後まで指揮しその後引責辞任した[13]。