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(プレジデントオンライン)

PRESIDENT 2011年12月5日号 掲載

私の自宅の机の上には聖書が何冊か積んであります。

私と聖書の出合いは高校生のときに遡ります。1970年頃、私は兵庫県丹波で育った田舎の高校生でした。人並みに「人生とは何ぞや、人とは何ぞや」と思い悩んでいたからでしょう、何気なく聖書を購入し、教会にも行ったことがありました。

私はキリスト教の信者ではありませんが、以来、聖書はずっと持っています。第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入ってからも、聖書、特に新約聖書は、いつも鞄の中に入れていました。通勤電車の中で読書をするとき、他の本に飽きると聖書を取り出してパラパラとめくるのです。

聖書はどのページをめくって、どこから読んでもいい。そうすると、いまの自分の状況をぴたりと言い当てている言葉に巡り合う。キリスト教とは何ぞやという学問的な難しいことを知らなくても、パッとめくったときの一言、あるいは一行が胸にグサッと突き刺さってきます。

それは何よりも言葉に力があるからでしょう。何か問題が起きて悩んでも、その一言で助けられ、支えられる。まさに「ワンフレーズ?ポリティクス」。非常に得難い「書物」だと思います。

私はこれまで、いろいろな事件に巻き込まれてきました。人生で2度も強制捜査を経験しましたが、逃げたことはないつもりです。おかげで少し逃げ遅れてしまったこともありますが……。

強制捜査の1つ目が97年に起こった第一勧業銀行の総会屋事件。第一勧銀が長年、大物総会屋に不正融資をしていたことが発覚したのです。当時、私は広報部の次長で、事件の真相を調査する社会責任推進室室長も務めました。

■尊敬する人が次々と逮捕される

そのときに指針になった聖書の言葉は、「狭い門から入りなさい」(マタイによる福音書?7章13節)です。人間は誰しも、仕事でも日々の判断でも、安易で楽な道を選ぼうとします。事件が発覚してからというもの、マスコミから責められ、記者たちが自宅にまで押し寄せてきました。本当は逃げ出したい。そういうときに聖書をめくると、「狭い門から入りなさい」「滅びに通じる門は広い」という言葉にぶつかるわけです。

それで、やはり安易な道を選んではいけない、歯を食いしばって困難な事態にぶつかっていこう、と考えたのです。

もうひとつ指針になった言葉は、「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知らずに済むものはない」(ルカによる福音書?12章2節)です。

総会屋への融資を隠すために不良債権を“飛ばす”など偽装工作をしていましたが、絶対に隠しおおせることはありえないと思いました。汚い部分があっても隠してはいけない。1つの隠ぺいが新たな隠ぺいを生み、最後には破滅が待っているからです。

総会屋事件で一番辛かったのは、自分が尊敬したり世話になった人たちが、次々に逮捕されていったことです。

その逮捕に私は1つ1つ付き合いました。その人たちから「後は頼む」とか、1つ1つ言葉や依頼ごとを託されるわけです。その都度、涙が本当に止まりませんでした。


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