2012年、阿部の復帰に伴い、再び背番号を34番に変更。3月20日のナビスコカップ対ベガルタ仙台戦において田村直也と接触し[注 3]、左膝前十字靭帯を損傷。全治約6ヶ月と診断された[8]。12月に高校時代から交際していたさいたま市在住の一般女性と入籍した[9][10]。
人物?エピソード[編集]
父は、元モンスタービーツソロ HD (モンスタービーツ )ジアユース(U-20)代表、JSL1部のマツダSC(現サンフレッチェ広島)でSBやMFとして活躍した山田隆。引退後マツダ本社で勤務していたときに自身が誕生している。
初ゴールをあげた際、名前が原口元気となっていて、後から訂正された。
練習中に闘莉王、名古屋グランパス戦でダヴィを吹き飛ばすなど、小柄だがフィジカルは強靭。
本人曰く、目標は「頭の良い選手」。また、クロード?マケレレを尊敬しているという。
チームメイトである原口元気のプレーを初めて見たのは小学生の時、父親に「原口の試合を見に行くぞ」と言われて連れて行かれた試合だった。
FC浦和で全日本少年サッカー大会、レッズジュニアユースで高円宮杯U-15、レッズユースで高円宮杯U-18と、小学校、中学校、高校で全国制覇を成し遂げた。