日本代表[編集]
2002年、日韓ワールドカップのメンバーに選出され、第2戦のロシア戦に出場[32]。短時間の出場ながら[32]、愛媛県出身者としては初のワールドカップ出場であり、大会終了後には同県から「文化?スポーツ賞」を贈られた[33]。
ジーコ監督率いる日本代表チームでは、稲本潤一の負傷離脱をきっかけに激戦区となっていたボランチのレギュラーを勝ち取り[34]、危機察知力と競り合いの強さを発揮[8]。中盤のバランサーとして[35]重用された。ボランチの一角には中田英寿が定着したが、果敢にボールを奪いに行くことを要求する中田と、中盤のスペース管理を優先する福西との間で[14]ぶつかる場面もあった[36]。
2006年、2度目となるドイツワールドカップでは2試合に先発出場した。ジーコの後任を担ったイビチャ?オシムはこの時の日本代表について、中盤での守備を担う選手が不足しているとして「水を運ぶ選手も必要だ。福西1人で水が運べるのか」と評している[37]。
現役引退後[編集]
2009年1月に現役引退を表明[2]。ドイツワールドカップ日本代表では中田英寿に次いで2人目の引退となった。