1971年にプロ入りして以降、引退するその年までの16年間、全てのシーズンでオールスターに選出され続け、ABA時代は得点王3回、シーズンMVP3回、プレーオフMVP2回、優勝2回、NBA時代はオールスターMVP2回、シーズンMVP1回、優勝1回の実績を誇る。
目次
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1 経歴
1.1 生い立ちと学生時代
1.2 ABAキャリア
1.2.1 バージニア-スクワイアーズ (1971-1973)
1.2.2 ニューヨーク-ネッツ (1973-1976)
1.3 NBAキャリア (フィラデルフィア-76ers 1976-1987)
1.3.1 二人の新人
1.3.2 1983年の優勝
1.3.3 引退へ
2 プレースタイル-業績
2.1 スポークスマン
2.2 有名なプレイ
2.3 人物評
3 主な実績
3.1 個人成績
3.2 主な受賞
4 引退後-私生活など
4.1 家族
4.2 影響
5 脚注
6 外部リンク
経歴[編集]
生い立ちと学生時代[編集]
1950年2月22日、ニューヨーク州ローズベルトに生まれたジュリアス-アービングは、3歳の頃に父親が家族のもとを去ってしまったため、清掃員として働いた母親の手によって育てられた(父親はアービングが7歳の頃に暴行事件で殺害される)。内向的な幼少期を過ごしたアービングは、9歳の時に始めたバスケットボールに活躍の場を見出し、10歳の時には彼のチームを地域のチャンピオンシップに導いている。生涯呼ばれ続けることとなる the Doctor の愛称はこの頃に着けられ、アービングが彼の友人を Professor と呼んでいたことから、彼は the Doctor と呼ばれるようになり、後に Dr.J へと転じた。高校は地元のローズベルト高校に進学し、二度オールカンファレンスチームに選出されるなどの実績を残し、マサチューセッツ大学では2年間のプレイで平均26.3得点20.2リバウンドの成績を記録してNCAA史上数人しかいない平均20得点20リバウンド以上達成者となったが、当時のカレッジバスケではダンクが禁止されていたため、後にダンクアーティストとして名を馳せるアービングの才能が存分に発揮されることはなく、当時は全国的には無名の選手だった。