(プレジデントオンライン)
PRESIDENT 2013年6月17日号 掲載
■反対派を締め出し次々と「総裁命令」
1985年6月、国鉄本社職員課長で、44歳のときだ。政府が、国鉄改革に消極的だった総裁以下の首脳陣7人を更迭し、元運輸事務次官の杉浦喬也?新総裁ら分割?民営化を推進する顔ぶれに入れ替えた。
第二臨調の基本答申で設立された国鉄再建監理委員会が、改革に関する最終答申を出すまで1カ月。反対派の猛烈な政界工作で、改革への道は閉ざされかけていた。だが、優位に立ったとして生じた反対派の緩みをつかみ、「首脳陣の一新」を実現する。原動力は、丹念に掘り起こして大事にしてきた人脈の確かさと、鉄道事業を長期的に考える視点だ。
40歳になり、仙台勤務から本社へ戻る直前に「最後の再建計画」と称された経営改善計画を読んで「もうダメだ」と痛感した。経営陣に危機意識が乏しく、赤字線の抑制も運賃値上げも国の助成金も、すべてが中途半端。巨額のツケが次世代へ先送りされ、2年か3年おきに再建計画をつくり直す姿が、思い浮かぶ。その結末は、国鉄崩壊だ。
だが、新幹線にしても都心の山手線にしても、失ってはならない「国民の足」だ。いったん過去を切り離すことで、何とか生き返らせたい。過去を切り離すとは、巨額な債務の大半を国の管理下に移し、事業体として採算性を回復することで、政府?与党に「もう、これkd7 バッシュ 上の支援は不要になる」と信じてもらえなければ、実現しない。それには、40万人規模に膨張した非効率な要員を、自らの手で半減する必要もある。
一方、国鉄の圧倒的な多数は現状維持を望んでいた。首脳陣更迭の前年夏、自民党で国鉄再建小委員会の委員長を務めていた三塚博?衆議院議員が、分割?民営化を前提とした著書を出版した。反対派は、三塚議員を「守旧派の同士」とみていただけに、驚く。著書を「禁書」とし、猛烈な反改革工作を展開した。「改革派三羽烏」と呼ばれた3人のうち自分を除く先輩2人は、東京西鉄道管理局と北海道総局へ転出する。誰もが「飛ばされた」と思う。
形勢は、反対派に傾いた。気をよくしたのだろう、分割?民営化反対の急先鋒だった役員が、新聞記者に口を滑らせた。「もし分割?民営化の最終答申が出ても、われわれは表立っては反対などしない。従うふりをして、法律にする段階で骨抜きにしてやる」。役員は知らなかったのだろうが、その記者は内々に親しくしていた1人。話の内容をメモにしてくれたので、信頼感で結ばれていた第二臨調の幹部へつなぐと、官房長官から首相へと渡り、総裁以下の更迭が決断される。
毎週2、3回開く総裁室での会議には、課長補佐級の若手少数を集めた。帰京以来主宰し、第二臨調や三塚小委員会で分割?民営化への様々なことについての「原案」を書き、固めていった勉強会のメンバーだ。債務や資産の切り離し案や、要員の削減案などを、固めていく。
国鉄では、物事を決めるには補佐会、課長会、局長会、常務会を経て理事会にかけるので、驚くほど手間がかかるが、こちらは別世界のように意思決定が早い。次々に「総裁命令」が出た。反対派はあわてた。意を受けた秘書課長らが「会議に入れてほしい」と言ってきたが、「部屋が狭くて無理」と押し返す。
ただ、反対派も、簡単には諦めない。政治的な妨害に加えて、勉強会をつくって以来あった尾行も続く。使ったタクシー券も、1枚ずつ、行き先をチェックされる。自分がいた職員課にも敵が送り込まれ、電話も聴かれていた。だから、臨調幹部や官邸への報告や連絡には自ら出向いたし、タクシーは別のところで降りた。職場と外との電話のやりとりには、偽名と符丁も使った。スパイ小説もどきだが、すべて実話だ。
分割?民営化では、JR東海へいった。新幹線も運行する東日本、東海、西日本の本州3社、北海道、四国、九州の三島会社、そして貨物の計7社に分割する案は、自らが率いた勉強会で早くから描いていた姿。だから、どこは何をすべきかは、急務な策も長期的に打つべき手も、頭に入っていた。行き先がどこであっても同じ、すぐに対応できた。
「男児欲為千秋計」(男児は千秋の為に計らんと欲す)――立派な男子は、長い年月のために大計を樹立することを目指せとの意味で、中国?清の詩人である袁枚の作品にある言葉だ。目先をとり繕うのではなく、常に将来を見据え、改革の方向を定めて経営の舵をとる葛西流は、この教えと重なる。
続きを読む