この時点でフィリップの年齢はすでに30歳を越えていたが、名プレイメーカーぶりは変わらず、フィリップ加入と共に少しずつ成績を上げ始めたピストンズは、1954-55シーズンには43勝29敗の好成績を記録し、プレーオフも勝ち抜いてファイナルに進出した。ファイナルではシラキュース-ナショナルズと対決し、シリーズは最終第7戦までもつれたが、92-91の1点ビハインドで迎えた第7戦試合終盤、逆転を狙うピストンズはフィリップがボールを運んだが、ナショナルズのジョージ-キングにボールを奪われてしまい、ピストンズはフィリップの痛恨のターンオーバーで敗れ、優勝は叶わなかった。なお、この第7戦は賭博に絡んだ八百長疑惑が持ち上がっており、最後にナショナルズにボールを与えてしまったフィリップにも、その嫌疑が掛けられている。ピストンズは翌シーズンもファイナルに進出するが、今度はフィラデルフィア-ウォリアーズに破れた。
すでに33歳を迎えたフィリップは引退しようとしていたが、ボストン-セルティックスの名将レッド-アワーバックに熱心に口説かれ、セルティックス入りを決意した。セルティックスではボブ-クージーらの控えとしてプレイし、そして1957年のセルティックスの初優勝に大きく貢献した。念願のチャンピオンリングを手に入れたフィリップは、もう1シーズンだけプレイして、1958年に現役から退いた。