目次
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1 少年期と大学時代
2 レイカーズ時代
2.1 キャリア初期
2.2 キャリア中期
2.3 キャリア終盤
3 HIV感染と引退
3.1 引退発表
4 プレースタイルと記録
5 引退後
5.1 ビジネス
5.2 政治
6 脚注
7 外部リンク
少年期と大学時代[編集]
ミシガン州ランシングという小さな町で父アーヴィン-シニアと母クリスティンの間の7人兄弟の4番目として生まれた。両親は共に南部出身の黒人だったが、自動車関係の仕事を求めてミシガン州に移り住んできた。 父親はゼネラルモーターズの傘下の会社で働くほか、副業もこなしていた。母親も学校の用務員など常に何かの仕事に就いていた。少年時代からまずは父親を相手にバスケットボールを始め、少年チームに参加し、バスケットボール漬けの日々を過ごした。
中学時代からすでに仲間内で一番の長身で、運動能力も抜群だった。一試合で48点をあげたこともあったという。その頃からミシガン州でも有名な黒人がほとんどを占めるセクストン高校への進学を夢見はじめる。バスケットの強豪校として知られる高校でプレーし、スターとなることが彼の当時の一番の夢だった。